誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

平成史スクープドキュメント 第1回  大リーガー NOMO ~“トルネード” 日米の衝撃~ をみて

www6.nhk.or.jp

 

この30年に起きた“事件”“出来事”を新証言や新資料で掘り下げることで、一つの時代を見つめていく大型シリーズ「平成史スクープドキュメント」。第一回は、1995年(平成7年)、野茂英雄さんの大リーグ挑戦の舞台裏を描く。日本のプロ野球を代表するエースの突然のアメリカ行きは、日米の球界関係者に大きな衝撃を与え、今年の大谷翔平選手に至るまで、日本選手の大リーグ挑戦の先駆けとなった。一方でそれは、グローバル化の猛威の中で世界に目を向けることになった平成日本を象徴する“事件”でもあった。なぜ野茂さんは海を渡ったのか。番組では、野茂さん自身がその詳細を初めて告白。さらに今回独自に入手した日米の球団経営者の内部資料から、日本選手の大リーグ挑戦をめぐる激しい攻防も浮かび上がってきた。世界を席巻したトルネード旋風の衝撃、ふたたび! インタビュアー/リポーター 大越健介(NHK記者主幹)

 

印象的だった箇所。

 

日米野球を経験したあと

大リーガーのピッチャーの映像を

自分で編集し見続け、

大リーガーが書いた教本を熟読したり

科学的に根拠ある練習方法を学んだりした。

 

野茂さんは独特の雰囲気がある。

 

すごい技術があるにもかかわらず

謙遜しているというよりも

自分の気持ちに正直すぎる人物のように思えた。

 

自分に正直であるがゆえに

大リーガーになれ

パイオニアになった理由だと思う。 

 

いい結果を残しても

自分がやれることやっただけ、

できることをやっただけといった

自然と結果がついてきただけだという。

 

ベネズエラに行こうが

平成が変わろうが

自分にできることをやる。

 

ドジャースの一員になれたことを生涯忘れません。

 

本当に大リーグに行きたかったのが

身にしみてわかる。

 

野茂が大リーグにいったとき

大リーグは選手と球団の金銭トラブルがあり

ファン離れが進んだ。

 

そのとき、

野茂は最低年俸である1000万円で

自分の実力を試すため挑戦した。

 

アメリカはフロンティア精神あふれる国で

野茂が評価されスターになったことは

必然であった。