誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

最近、神学に対する興味が薄れてきた。

神学書を読む気がなくなってきている。

 

別に仕事は神学者でもないし、

そういう関連の仕事をしていないので

構わない話ではあるが、

趣味のモチベーションが下がってくるのは

なかなかである。

 

今まで積み上げてきたものは

一体なんだったのかという気持ちに近いかもしれない。

 

神学に対する興味が薄れた原因は

なんとなく自分ではわかっている。

 

きっと軽く悟ってしまったのかもしれない。

 

結局のところ

どんなに勉強しても

「悪口を慎むこと」

「他者を自分のように愛すること」

そのようなことしかできないということ。

 

隣人愛という思想がユダヤ教にあり、

ユダヤ教の徳という部分は

人間主義のギリシャ哲学から発生しているということを

知ったとしても

隣人愛を実践できなけば

なんの価値もないのである。

 

言葉を聞いて実践しないものは

虚しいの一言につきる。

 

さらに

本棚に神学書があるのが

ちょっと居心地が悪い感じになってきている。

 

少し前までは

18歳で大学を選ぶとしたら

神学部にいって神学者になろうかと

脳裏をよぎっていたのに

飽きっぽい性格がここでも出たのかもしれない。

 

学者の人は

専門分野に対して

モチベーションが下がったり

飽きたりしないのだろうか。

 

仕事なので飽きても

やり続けるということだと思うと

学者の仕事も一般の仕事も同じで

仕事は平等だと思えてくる。

 

学者は好きなことを仕事にして

羨ましいという気持ちもあったが

それが仕事になると

必ずモチベ問題が発生する。

 

飽きてもやり続けた先に

見えないものが見えるような気もするが

今はそんな気も起きないのである。 

 

今ハマっているものは

腕時計をyoutubeで見て

勉強することである。