誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

自分は神学について興味があるのかどうか。

新教出版社の

シリーズ神学への船出を

全部、読もうとしている。

 

だから、自分は神学が好きだと

言えるのかどうかと考えると怪しい。

 

<自分が興味があるもの>

ルター

宗教改革

神秘主義

祈り

イエスの実像

聖書

教会の社会的影響

修道士の生活や哲学

古典

 

 

<興味がないもの>

スコラ哲学

受肉論

救済

 

 

www.basyanuko.com

 

トマス・アクィナスの本を読んで見たが

あまりピンとこなかった。

 

信仰とは

論理的なものではなく

感じるもののような気がする。

 

それを言ったのが

シュライエルマッハーであり

神学=スコラ哲学といえるわけではない。

 

 

哲学に興味があるのと

神学に興味があるのとでは

おおきな隔たりがある。

 

哲学は実践的で本質にせまるものだが

神学は空想的でイエス・キリストの本質からは遠ざかる。

 

哲学は気晴らしになりそうだが

神学は気晴らしにもならなそうである。

 

神学には

自然法則はないし、反復可能性もない。

時代によって学問が変わり続けていく。

 

さらに

国民国家の概念が生まれたとき

ナチス政権のとき

神学は利用されていく。

 

神学=善ではなく

危険な学問でもある。

 

 

 

ある日、

上記のようなツイート見た。

 

上原氏は

非キリスト教徒でありながら

プロテスタント神学を研究しているっぽい。

 

このツイートを見て

神学を学んでいる人間というのは

聖書の読み方が深いということ。

 

それで、

聖書を読むことが

もっとおもしろくなるし

本質を知れるようになれる気がする。 

 

そして、神学を学ぶものが

信仰が厚いとは限らないのも

また不思議である。

 

 

自分が18歳で

好きな学部にいけるとしたら

神学部に行くと思う。

 

しかし、神学で飯が食えるかというと

別の話になってくる。

 

佐藤優いわく

神学の本は高く

元が取れない分野であり

逆に著者からお金をいただく場合さえあるという。 

 

日本で神学に興味を持つとは

肩身が狭い。

 

仏教だったら

世間は許してくれそうだが

神学は生活に馴染みがなく

なんで?ということになる。