誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

修道女フアナ・イネス を見て

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17世紀のメキシコに生きた修道女フアナ・イネス・デ・ラ・クルス。禁断の同性愛や女性に対する社会的抑圧を経験し、女性の権利を訴え続けた彼女の生涯に迫る

 

文学の才能がある女性が

修道女になり

修道院、世間、権力者、

すべてにおいて影響を与えてしまう。

 

学校のクラスで

すばらしく優秀な生徒が

学校の規則などについて疑問を抱き、

担任教師や教頭からはよく思われていないが

一番トップの校長には

気に入られている感じかもしれない。

 

フアナの才能や評価に嫉妬する神父や

しきたりを重要視する修道院長など

敵対する人たちも少なくない。

 

それは

イエスが批判した律法主義者と似ている。

 

子供ができた修道女を

幽閉している場面が出てくる。

 

修道院の規則を守るがゆえ

慈悲がなくなっている。

 

女性を嫌っている大司教のアギアル。

 

しかし、

イエスは立場の低くかった女性と共にいたので

女性を嫌っているのも

イエスの立場ではないと思う。

 

最後、フアナが

執筆をやめてしまったことを知ると

寂しげなヌニェス神父がいたが

彼女は隠れて執筆活動をしていた。

 

 フアナが

「自分は最低な修道女だ」と

繰り返す部分があるが

きっと、執筆をやめると神に誓ったのに

執筆をやめなかったという

負い目があったのだろう。

 

きっと今までの彼女なら

自分で鞭を打つことはなかったに違いない。

 

この海外ドラマの影響で

光文社から出版されている。

フアナ・イネスの手記を読んだ。

 

 

 

 

詩こそが最高の文学だった17世紀末。ソル・フアナはそんな時代に世界で最も愛された詩人だ。美貌の修道女でありながら、恋愛や抑圧的な社会への抗議をテーマとした作品を残した。彼女の思想を明快に表現した詩と2通の手紙を、詳細な解説とともにまとめたわが国初の試み。

 

文の意味が深く、注釈がないと

真意がわからない。

 

読んでいくと

毒舌やユーモアがある

ジャーナリストの文章のような気もした。

 

女性には

禁止されていたとされる神学についても論じる。 

 

イエスがローマ兵に侮辱されたとき

茨の冠だけ痛みがあった。

 

言葉による侮辱や

唾をかけられたりしたが

頭にだけ痛みがあった。

 

それはサタンが

イエスの知性をおそれたからということ。

 

パウロが女性は説教してはいけないという

新約聖書の記述の背景について。

 

パウロが説教しているとき

女性たちが話しており

静かにしなさいと注意したことによるもの。

 

神父たちに

神学論争をすることは

とても勇気のいることである。

 

フアナの手紙には

マルティン・ルターのことも書かれている。

 

1650年代から1690年代の生涯なので

宗教改革はすでに行われている。

 

カトリックのスペイン帝国の修道女であるがゆえ

ルターのことはよく思っていなかったと思われるが

神学的に教会に疑問を抱いている点からして

ルターと似ている気もしてくる。