誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

「映像の世紀 第11集 JAPAN」 を見て

www4.nhk.or.jp

 

日本が国際社会の一員としての地位を確立した20世紀。日露戦争の勝利をきっかけにひのき舞台に立ち、その後の韓国併合シベリア出兵、満州国建国で孤立してゆく。さらに、太平洋戦争、敗戦、戦後復興に至る日本の歩みは、詳細に世界に伝えられた。この集は、外国人カメラマンが記録した明治末期から昭和20年代末までの日本の映像と彼らの手記を軸に、世界が見つめた「JAPAN」を描く。

 

JAPAN

<明治時代>

小泉八雲

「極東にいる自分が不思議で仕方がない

 珍しそうに私を見ているが敵意がなく微笑んでいる」

 

映像に映る、

市川左団次。 

第19代横綱 常陸山

第20代横綱 梅ヶ谷

力士は古い異物であるという考えもあった。

 

カナダ人記者。 

「急に西洋化したことに驚く

 30年という早い変わりようは

 奇跡であった。」

 

パリ万国博覧会

日本文化に触れた欧米では

日本に対して興味を持たれるようになる。

 

日本を題材にした映画。

ゲイシャ・ガールズ

・ジャパニーズ・バラエティ。

・大名の裏切り。

 

アメリカで

日露戦争を再現した映画がヒットとなる。

 

イギリスの新聞。

「日本は西洋の学問を集め

 組み合わせて習得していった。

 日本が世界中に

 列強であることを世界に示した。」

 

ステッセル将軍と乃木希典将軍の映像。

 

ネルー首相

日露戦争は感激した、

 アジアはヨーロッパを打ち破ることができる、

 アジア人のアジアになれると思う」

 

ポーツマス条約を結んだことに

ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世は不安だった。

「白色人種のロシア人と

 有色人種の日本人が戦った。

 有色人種は白人に対して敵意を持っている。

 統一されたアジアのリーダーに

 日本がなることが危険である。

 日本が中国を統一することが最も危険である。」

  

日本が朝鮮半島に統監府をおき

朝鮮の軍隊を解除するなど

日本に対する不満が朝鮮半島で出てくる。

 

伊藤博文ハルビン駅で暗殺される。

ロシアのカメラマンが

安重根が連行される様子を撮影していた。

 

明治政府を作った伊藤博文

国葬として扱われ

その後、日本は朝鮮を併合。

 

東亜日報の社説

「すべて日本の支柱にある。

 日本人のための経済政策を

 朝鮮で行ってはいけない。」

 

 

<大正時代>

日本は常任理事国であり

5大国の1つに数えられた。

 

パナマ万国博覧会では

大規模な展示を行い

大仏、日本庭園、相撲などを紹介。

 

大正6年、ロシア革命が起きる。

日本はシベリアに出兵したが

各国から不信がられた。

 

理由は

シベリアにいる日本軍がどの国よりも多いこと

日本国旗がたくさんあること。

 

日本は現に約束の10倍以上の

軍を派遣していたが、連合国は黙認していた。

共産主義勢力を倒すことを期待されていたからである。

 

裕仁皇太子がヨーロッパを

訪問したときのイギリスの新聞。

「これは記念すべき出来事となる。

 日本の保守層からは

 皇位継承者が海外に出るなんて

 とんでもないという意見があったが、

 イギリス人としては歓迎する。

 日本は完全に鎖国を捨てさったと思われるからだ。

 皇太子は明治天皇の教えを着実に実行している。」

 

 

台湾では日本統治下のもと

多くの民族が暮らしていた。

 

台湾の先住民に日本式農業を教え

日本語教育が行われていた。

 

大正十二年、関東大震災が起きる。。

イギリスのニュース映画では

震災後の様子が各国で上映された。

 

アメリカ人記者は

「 横浜に作った欧米の文化が破壊されていた。

 このような状況になっても秩序正しいのに驚いた。

 涙ひとつなく後始末を行う。」

 

実際は違いデマから

朝鮮人がたくさん殺されるというのが起こっていた。

 

 

アメリカでは

日本人移民が増えていた。

日本人は安い賃金で働き

雇用を奪う話があり嫌われていた。

 

アメリカの日本人排斥連盟。

「日本人はアメリカでは危険な存在である。

 勤勉で長時間働く意欲がある。

 移民同士で団結し、たくさん子供をつくる。

 アメリカ大陸で大和民族を繁栄させる気でいる」

アメリカから日本への移民は禁止となる。

 

 

<昭和>

建築家のブルーノ・タウト

「日本のダンスホールは不思議な世界である。

 そして、滑稽だがヨーロッパ人には魅力的である。

 日本人は自分の不幸を隠すことがあり

 西洋のダンスを踊る娘たちが気の毒にみえる。

 祖先の血から異なったリズムが流れているからである。

 ほがらかで微笑ではあるが

 裏には哀愁があって、それを独自に表現している。」

 

大連を満州の玄関口として作り

国際色豊かな街になっていた。

この大連に海外投資の半分を費やし

満州国を建国した。

 

清が滅び

愛新覚羅溥儀は日本にかくまってもらっていた。

いつかは王に戻るという野心を持っていて

満州国の皇帝となる。

 

満州事変があり

リットン調査団満州に来た。

この様子を自衛の行動と言って

日本側が撮影していた。

 

リットン調査団

満州事変は正当な自衛措置ではないと結論づけた。

満州は日本の生命線であり、

 日露戦争での人とお金の犠牲の上に成り立っているという。

 日本の内部のことに口出すのはおかしいと言われるが

 それは承知のうえである。 

 世界はもっと大きな犠牲のうえに作られた秩序があり、

 それが国際連盟の生命線である。」

 

日本は

満州国の建国し

国際連盟を脱退する。

 

リンドバーグ夫妻。

チャップリン

ベーブルース

ヘレンケラーなどが来日。

 

日中戦争は始まると、その様子は

アメリカのニュース映画として伝えられた。

南京陥落の映像。

 

アメリカ国内では 

日本が経済的な脅威であるという

映画が流行り、不信感を強めていった。

 

真珠湾攻撃

アメリカの雑誌

「日本はアジア人のためのアジアといって

 人種の戦いにしようとしている。

 アメリカがアジアを味方にするには

 デモクラシーと平等でなければならないが、

 プロパガンダにより自ら人種差別的になっている。

 アメリカにいる日本人移民は収容されたのに

 ドイツ人とイタリア人は収容されていない。」

 

アメリカの大量の物量を前に

日本は追い詰められていく。

 

東京で大東亜会議を開き

アジアの団結を訴える。

 

自由インド仮政府主席であった

チャンドラ・ボース

「欧米諸国の侵略を止めたのは日本が最初である。

 アジアが復活するのは、強力な日本が必要である。

 日中戦争により、インド人の日本人に対する感情は悪くなった。

 でも変わった。それは イギリスを相手に戦っているからである。

 インドの独立を支援するものは、すべてインドの友である。」

 

日本はインドネシア

オランダから植民地支配から解放するといい

日本の占領下としていく。

次第に日本の戦局が悪くなると

インドネシア人に対して

苛立ちを見せるようになり

反日感情が高まっていく。

 

ガンジーは、このことについて

「日本はアジア人のアジアと崇高な希望を持っていたが

 今では帝国主義の野望でしかなくそれが実現できず、

 アジア解体する張本人となってしまう。

 列強になりたいという思いは 

 中国を倒したり、ドイツとイタリアと組んで

 実現するものではない。」

 

 

第二次世界大戦後。

GHQマッカーサーが7年近く占領。

 

プライベートフィルムで撮影した者。

「日本軍は背を向け護衛していた。

 民間人は恐怖からなのか

 占領されることを恥じていたのか

 家の中にこもっていた。」

 

戦艦ミズーリでの降伏文書調印式。

そこにはペリーが持っていた星条旗があった。

 

マッカーサーの演説。

「我々はいまペリー提督と同じ立場にいる。

 ペリー提督の目的は、進歩と叡智を与え

 世界の友情と貿易により

 孤独のベールを剥がすことであった。

 その後、西洋の技術を取り入れ

 迷信と武力に使い、言論の自由

 思想の自由まで否定した。

 今回再び日本人の才能を建設的なものに向け

 私たちの指導により、惨めな状態から 

 尊厳に満ちた地位を獲得できる。」

 

昭和天皇の巡行、東京裁判朝鮮戦争

 

米ソの対立から日本の立場が

どのようなものだっか

プロパガンダ映画が作られた。

 

アメリカのニュース映画。

日本軍がソ連によって

共産主義になっていき

ソ連の手先が増えてしまうという内容。

 

ソ連のニュース映画。

日本は民主主義と自由の名の下に

アメリカに弾圧されている。

 

サンフランシスコ平和条約

資本主義陣営との講話となった。

 

対日講和条約日米安保

再びアメリカ軍が日本に駐留する内容。

デモ隊と警官隊が衝突した。

 

1953年、テレビ放送開始。

その後の世界の動きは

ブラウン管を通して伝えられるようになった。

  

 

感想

移民が雇用を奪うという話があり

それは時代が変わっても変わらないんだと思った。

それが戦争や争いごと

差別へとつながっていった歴史があった。 

 

 

南京陥落の映像があった。

日本軍は笑顔なのに対して

現地の中国人は暗い表情をしている。

死体があったり、中国人が悲しんでいるときに

笑顔は不謹慎であり

それが映像に取られるという意識がまったくなかった。

 

大東亜戦争という言葉に

アジアの国々は日本に期待していた。

それは日露戦争で勝利した実績があったからであった。

 

日本の戦況が不利な状況になると

日本軍は現地の人々に対して

横柄な態度をとるようになり

日本も見放されていった。

 

当時の日本について

忠告する人もいれば

アメリカのやっていることを疑問視する人もいて 

世界が日本に注目していたんだと思う。

 

それは先人たちが、

築いた明治の文明開化があってこそであった。

万博博覧会で日本文化を伝えていたのも

大きかったのかもしれない。