「映像の世紀 第6集 独立の旗の下に」 を見て
アジア諸国は欧米列強に長く支配され、その後日本が支配権を競った。やがて日本が敗れるとアジアの人々は悲願の祖国独立に立ち上がる。インド独立の父・ガンジー、4億人の巨大国家中国を束ねた毛沢東、ヴェトナム独立の指導者ホーチミン等、アジアの指導者たちが持つ苦悩を含め、列強による植民地支配の実情や独立運動の変遷を半世紀に渡って描く。
<インド:ガンジー>
イギリスの植民地だったインド。
イギリス領だった南アフリカで
弁護士だったガンジーは植民地にされた人々を見てきた。
西洋的な暴力的な抗議ではいけないとの信念のもと
非暴力な運動を訴える。
しかし、インドでは
ガンジーは糸車を
イギリスの抵抗へのシンボルをつくり
それがあってか
インド国旗の中心は糸車である。
ガンジーはインド独立のため
イギリスに会議に行ったが
インドのほかの代表もいたので
ガンジーはその他の1人にしかすぎなかった。
ガンジーは帰国後、インドで投獄される。
第二次世界対戦後
インドは
イスラム教徒の代表ジンナーが対立していた。
イギリスは暴動を止めようとしたが
できなくなり撤退した。
その対立の調停役のためガンジーが選ばれた。
しかし、ガンジーにも対立を抑えることができず
ガンジーはこのインドの分断をよく思わず
ヒンドゥー教徒の過激派に暗殺されてしまった。
ベトナムはフランスの植民地であった。
第一次世界戦にもフランス兵として
ベトナム人が連れて行かれた。
そのことを批判した記事を書いた人物が
ホーチミンである。
参加していた。
フランスにとってホーチミンは
植民地の指導者でしかない。
フランスとベトナムの戦争である。
最初、ベトナム兵士は裸足で戦い苦戦をしいられていたが
中国から大量の武器援助を受けて
フランスには勝つことができた。
しかし共産主義に対抗するアメリカが現れた。
<中国>
大きな利権のため欧米諸国が
中国を支配しようとしていた。
外国支配の脱却と民族自立を訴えた孫文。
孫文は革命の軍隊の学校を作った
それが黄埔軍官学校である。
その校長だった蒋介石。
政治部の副主任だった周恩来。
面接官は毛沢東であった。
のちの国民党軍の主力部隊になっていく。
孫文がなくなり
国民党と共産党が対立するようになる。
延安という地で自給自足をしていた。
毛沢東「革命とは暴力である」
日中戦争が始まると
日本軍と対抗するため
国民党と共産党が組むようになる。
戦争後
毛沢東はそれをよく思わなかった。
1946年、中国内戦が勃発。
アメリカの援助が打ち切られた
蒋介石の国民党は台湾に逃げる。
アジアの独立に焦点を当てていたが
インド、ベトナム、中国の3つの国がメインである。
アジアの独立は大国の援助が必要であり
武器の提供が非常に重要になってくる。
インドの独立は
特殊なような感じがした。
政治の党の違いよりも
宗教対立の方が一般国民も本気になって
過激な暴動に染まっていくような気がしてきた。