誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

「映像の世紀 第7集 勝者の世界分割」 を見て

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米大統領ルーズベルト、英首相チャーチルソ連首相スターリンによって開かれたヤルタ会談は、ソ連の対日参戦決定と日本軍捕虜のシベリア抑留、朝鮮半島の米ソによる分割統治の悲劇をもたらし、結果的に東西冷戦の始まりとなった。東欧では強引な共産化が推し進められる一方、アメリカではマッカーシーによる赤狩りが猛威を振るい、冷戦はついに朝鮮戦争で火を噴き、世界は二つの陣営に分割された。

 

ヤルタ会談

アメリカ、ルーズベルト

イギリス、チャーチル

ソ連スターリン

 

ドイツの戦後処理をどうするか。

イギリス、フランス、アメリカ、ソ連によって

分割されることが決まった。

 

ポーランド問題。

ソ連は自国を守るために生かしたいと考えていた。

ポーランドには

イギリス側の政権とソ連側(ルブリン)の政権があった。

 

ポーランド軍ソ連に利用されていて

ドイツ軍との対抗に協力をしてくれなかった。

ポーランド軍がやられてから

ソ連がドイツ軍を倒していった。

 

ルブリン政権という共産党政権を

ソ連は推し進めようとしていた。

 

ルーズベルトの方は

ポーランドに自由選挙をすすめて

国民の選択に任せた。

 

 

バルカン半島

ルーマニヤや

いろんな国がたくさんあるところである。

この半島についてもソ連のもくらみがあった。

 

 

東密約。

日本の問題である。

ルーズベルトスターリンの2人の会談で

決まったようなものであった。

 

アメリカは

日本と中立条約を結んでいたソ連

味方にしたかった。

 

スターリン

なんでソ連が日本と戦争しなければいけないのか?

ロシア国民は理解できないという点を気にしていた。

 

千島列島やサハリン南部を得るという

国家利益として参戦の説明ができることで承諾する。

 

台湾は

カイロ会談で

中国に返還されることが決まった。

 

朝鮮半島

アメリカとソ連で分け合うことが決まった。

 

 

占領したところに

自分の社会体制を押し付けるような状態。

 

自由選挙のポーランド

スターリンを英雄として宣伝し

イギリス側の政権側の人を逮捕していく。

 

 

チャーチルからルーズベルトの手紙。

ソ連が約束をやぶり

ヤルタ協定はうまく機能しなかった。

 

 

ドイツ降伏に

ヨーロッパは湧きだっていたが

ソ連は東に移動していた。

 

ルーズベルトの死後

アメリカ大統領になったトルーマン

ヤルタ協定について何も知らなかった。

ソ連の思惑も就任してから知った。

ソ連の思惑は隣国に社会主義体制を押し付けることであった。

 

現在問題になっていて

解決していないことが

ヤルタ会談で決められていたということである。

  

 

これから

アメリカとソ連は対立するようになる。

 

ポツダム(ドイツ)会談。

アメリカ、トルーマン

イギリス、チャーチル

ソ連スターリン 

 

原爆を完成させたアメリカは

ソ連が必要ではなくなっていた。

 

日本はアメリカのみが統治。

朝鮮はアメリカと南下してきたソ連を分割。

 

 

アメリカは庶民の生活も豊かになっていたが

戦地となったヨーロッパの生活はひどいものだった。

 

ドイツ国民はナチスによって

生活を壊され

次は共産主義によってひどい目にあう。 

 

そして

東ヨーロッパのほとんどがソ連の影響下に

置かれるようになる。

 

アメリカが戦後の原爆実験を行う。 

長門など日本の戦艦が海に集められ

原爆の破壊力を見せつけられる。

 

 

プロパガンダ合戦。

最前線となったベルリンでは

映画館がたくさん建てられ

両陣営のプロパガンダ映画が流されていた。

 

西側の方は無料で映画を見せていた。

ソ連は西ベルリンを閉鎖し

電力供給がなくなり情報も入ってこなくなった。

 

その後

飛行機で物資を運んだアメリカ。

 

 

現代の日本に生まれると

共産主義に対して悪いイメージがそんなに感じられない。

 

中国共産党北朝鮮など

悪いイメージがあるにはあるが

実存として日常で

どんな被害をこうむっているのかわからない。

それもそうかもしれない。

いいところしから外部に見せないと言われているからである。

 

日本で共産党といっても

志位和夫さんや吉良よし子さんといった感じである。

 

 

朝鮮戦争では

北朝鮮が優位に立っていたが

トルーマンが南部を支援し

朝鮮戦争が長期的になり激化していく。

 

朝鮮戦争

中国も参戦して

一般人では150万人以上の被害がでた。

 

映像としてみると

朝鮮戦争がものすごく悲惨な出来事だと理解できる。

  

トルーマンのあの決定がなければ

朝鮮半島北朝鮮一択になっていたかもしれない。

今になってみるとそれが良かったのか

悪かったことなのかよく分からない。

朝鮮が中国みたいになり

ある程度、妥協した社会主義国家になっていた

可能性もある。

 

2017年の日本では

朝鮮を嫌っている風潮がある。

 

しかし、朝鮮の国民は

戦争でひどい目にあっていることを忘れてはいけない。

 

勝者の世界分割というタイトルもあるように

確かにそうであった。

しかし、その勝者である大国の

思惑によって翻弄される

小国と敗戦国といった感じであった。

 

それを決めていたのが

ヤルタ協定にいた3人。

 

この3人がどう言うかによって

決まっていったので

絶大なる権力があったとしかいいようがない。

 

自国の利益を考えた会談であったため

いろんなことが複雑になったと思える。

 

この会談で

一番時間を割いた問題は

ポーランド問題であったという。

 

地理的には

ヨーロッパとロシアを分けるところであったが

 

この時代には

社会主義と資本主義を分けたところであった。