誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

新年号が令和と決まったときのこと

その日は、夜勤のため寝ていたが

不思議と午前7時に起きて

テレビをつけて発表を待っていた。

 

令和と聞いたとき

意外性があったが、

かっこいいなという印象を受けた。

 

元号発表に関して

日本国民のほとんどが気になり

その元号発表のゲームに参加している。

 

やはり日本人は祭りが好きで

国民の統一性のすごさを目のあたりにした感じがした。

 

元号なんて不便だから

やめてしまえばいいと言っているのは

ホリエモンぐらいしか見当たらない。

 

令和元年、令和1年、令和10年。

 

そういったことで

出来事が記録されていくよりも

2025年、2030年というふうに

西暦で出来事は記録されていくのだと思う。

 

しかし、あえて元号を使うことで

西洋文化、世界基準とは一線をかくすことが

日本の魅力であるともいえる。

 

猪瀬直樹さんが言うには

元号が使われていなくなっているのは

天皇の影響力が小さくなっていることらしい。

 

でも、そんなこともないような気がする。

天皇の重要性は年々増している気がする。

 

世界基準、世界がみなアメリカ的なものに

統一されていき、

自国のアイデンティティが薄くなっているなか

天皇は日本人にとって

なくてはならない大事なアイデンティティであることは

間違いがない。

 

元号を使っているのは

日本と台湾と北朝鮮の3か国しかないと聞いた。

 

元号はもともと中国が発祥だが、

隣国する国々がいまも継承しているのである。

 

この3か国は

やはり世界とは一線をかくしている。

 

台湾は中国の一部でないと自己を確立しているし

北朝鮮も世界基準ではない。

 

日本も同じようなものかもしれない。