誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教 を読んで

 

 

私たちの現在地を照らす!! 世界最大の問題に、知の巨人たちと俊英が挑む。 いま、私たちは渦の中にいる。 各国で起きるテロや、EUやアメリカ、日本でで生じる排外主義・外国人嫌悪(ゼノフォビア)、めまぐるしく変転する中東情勢など、 世界各地で民族・宗教といった、冷戦後には“古い”とされた問題が噴出している。 私たちの現実社会に影響を与えている「宗教」「思想」といかに向き合うかは、個々人が生き抜く上で避けては通れない時代になったのだ。 しかし、「宗教」を正面から扱うことを日本は避け続けている! この状況を打破し、現代社会の様々な議論の根本を一望する、知の結晶!! 世界宗教の論理や各国の制度を探究し、 それぞれの「思想」の重要性を訴えている第一線の研究者・識者が、 「宗教と資本主義・国家」を巡り、意見を交わした。 第一線の識者・研究者が現在地を照らす!!

 

宗教とは別の国家である。

アイデンティティの問題として

移民問題や排斥運動があるが

それには「と」が大事となっていく。

 

日本国民であり、クリスチャンであること。

日本国民であり、仏教とであること。

 

国の法律も守りながら

宗教倫理も守るバランス。

 

いわれてみれば中世の天皇も同じで

仏教徒でありながら天皇という存在であった。 

これは日本に限ったことではない。

 

ローマ皇帝でありながら

キリスト教徒であること。

 

近年の宗教が起こす問題点は

そこのバランスがおかしくなっているのではないか。

 

仮想通貨やグローバル化により

国民国家の影響力が弱くなっていて

国家に帰属していることよりも

自分の宗教の方が大切になっている。

 

 

世界中でマインドフルネスがブームであるが、

仕事の効率をあげるためにやるのは

仏教としての瞑想としては本末転倒だという。

 

しかし、宗教とは世俗的な生活を

よりよく生きるためにあるのではないか。

 

SNSが宗教のコミニティーの役割になり

悩みがあっても坊主のところに行かずネットで検索する。

 

人工知能が神となり

SNSが宗教的コミュニティを担うとなると

新しい宗教はインターネットのような気がする。

 

インターネットがあれば

人は救われるとさえ思えてくる。