誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

サリン事件死刑囚 中川智正との対話 を読んで

 

 

「死刑執行されたら出版してください」と彼は言った-- 松本サリン事件・東京地下鉄サリン事件では日本の警察に協力し、事件解明のきっかけを作った世界的毒物学者。 彼は事件の中心人物で、2018年7月に死刑となった中川智正と15回に及ぶ面会を重ね、その事件の全容を明らかにした。 中川氏との約束に基づき、このたび緊急刊行。

第1章 サリン事件解決に協力する

第2章 オウムのテロへの道のり

第3章 中川死刑囚との面会

第4章 中川死刑囚の獄中での生活

第5章 オウムの生物兵器の責任者、遠藤誠一

第6章 オウムの化学兵器の中心人物、土谷正実

第7章 麻原の主治医、中川智正

第8章 3人の逃走犯

第9章 中川死刑囚が語るオウム信者の人物像

第10章 上九一色村とサリン被害者の現在

第11章 オウム事件から学ぶ、将来への備え

第12章 中川氏最後のアクティビティ

 

中川智正は医者であった。

そんな彼がなぜ毒物専門のトゥー先生との

交流することになったのか。

 

トゥー先生からみれば

毒物に詳しい土谷正実のほうが

よかったかもしれない。

 

オウムがサリンを作っているなか

中川はサリン中毒になった土谷を助けたりした。 

そうしているうちに

毒物にも詳しくなっていたのだろう。

 

 

彼はオウム事件で中心的な役割をになった。

 

優秀であるがゆえに

そうなってしまったといえる。

 

性格のよさ、実行力、頭脳、話のうまさ、人当たり、

オールマイティーに能力がとても高かった人物。

 

つまりできる男であった。

 

本の中で

中川がオウムと出会ってなければ

いい医者になっていたというが同感である。

 

今回、オウム事件で死刑囚となった人たちは

オウムに関心を持たなければ

世俗的にも精神的にも良い人生を送ったに違いない。

 

若いころ、誰にでもある

社会に対する不信感がオウムと共有してしまった。

それがすべての間違いである。

 

中川智正の言葉からは

頭の良さも感じた。

 

「麻酔の量が多いのではなく、

 麻酔の状態が長すぎたのである。」

 

「裁判では冷静に話したいので

 いきなり呼び捨てにせず

 麻原氏と呼んだ。」

 

いちいち細かいようにも見えるが

間違ったことは間違っていると言える人物で

論理的である。

 

中川智正の最後のメール。

 

先生の痛風の足が心配です。

日本の死刑制度は恩赦はありません。

私は医者です。

研究に協力しているのは他の人が不幸にならないため。

 

この本のなかでも書かれていることだが

これは中川智正の光の部分しか見ていないかもしれないが

彼が極悪人であるようには思えない。

 

自分的には

人格に関わらず

やったことの罪に対して裁かれるのだと

この死刑を受け入れるしかない。