誤謬日記

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オウム真理教の死刑執行について思うこと

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オウム真理教の死刑執行は

他人事のようには思えない。

 

なぜなら自分が

精神的、神秘、瞑想、ヨガ、宗教、

自己啓発、スピリチュアル、オカルト的なものに

関心があるからである。

 

自分が1990年前半の東京にいて

興味本位でオウム真理教のヨガ教室を覗いていたのなら

自分もサリンを撒いていた可能性がないとは

言い切れない。

 

二十歳のころ

森達也のドキュメンタリー映画『A』を見た。

自分の映画ベスト5には入る作品である。

 

オウム真理教の広報部長、荒木浩を

密着したドキュメンタリー映画。

 

彼の優しそうな雰囲気や

オウム真理教以外の人との接し方などを見ていると

普通に良い人だと思えてしまう。 

 

むしろ宗教によって

差別してしまうのはよくないと。

 

オウムでサリンをばら撒いたのは

ごく一部の悪い人たちで

多くの人は良い人だと。

 

実はサリンをばら撒いた人たちも

性格的には良い人で、

何かしらのきっかけで洗脳されて

撒いてしまったのではないか。

 

40代、50代の人は

オウム真理教に対して怖さや憎悪があるが、

若い人にはないという。

 

自分はいま30歳で

小さいころオウム真理教の事件を

ニュースを見ていた記憶があるが

憎悪や怖さがない。

 

当時、オウム真理教は

ポップな路線を打ち出していた。

 

そんな自分がYouTubeで

オウム事件についての

昔のテレビを見ることがある。

 

やっぱりカルト宗教が怖いなと思うのは

オウム真理教は人徳や精神的な向上、

統一教会は愛や人のために生きる、

そういった高尚な価値観を出していることである。

 

そういった価値観に人は惹かれる。

なぜならそれが人間の本質的なものだからである。

 

その高尚な価値観を利用すれば

元々、性格の良い人は

騙されてしまう。

 

苫米地英人いわく

カルト宗教に騙されないためには

ゴール設定が大事だという。

 

カルト宗教に入ることによって

いつの間にか

ゴール設定が変えられてしまう危険性がある。

 

しかし、このゴール設定もこのご時世

何をゴールにすればいいのか不透明なのである。

 

オウムが流行った1990年代前半、

バブルが崩壊し

いままでの価値観が崩壊したとき、

そこに本質的な価値観(愛や人徳)を説く

カルト宗教が出てきてしまった場合、

人は惹かれる。

 

そして2020年、

東京五輪、パラリンピックが終わったとき、

安倍政権が退陣したとき、

日本経済は終わると言われている。

 

そうなったとき

またカルト宗教が台頭すると思う。

 

しかし、反社会的な活動をしないことや

人権意識のある新興宗教が登場すれば

それは人々の救いになるかもしれない。

 

今回の死刑執行で

オウムの幹部たちが神格化される恐れがあるという。

 

しかし、アレフという団体には

いまも麻原彰晃の写真を飾っていて

すでに神格化になっているのである。

 

麻原彰晃という人物は

本当に洗脳技術が高い人物だということである。

 

オウムを取材したジャーナリストが

オウムが本物だと思ったり、

高学歴な人物や学者が

どんどん洗脳されていく。

 

中沢新一という人類学者、宗教学者が

オウムを擁護したと非難されているが

それほどまでに麻原の洗脳技術が高かったのかもしれない。

 

そして、裁判が始まると

麻原彰晃は自分自身を精神崩壊する洗脳をしたとまで

言われているのである。

 

 

まさにデスノートの世界であり

夜神月がキラだと気づかれそうになったとき

デスノートの記憶を消したことに

近い感じである。