誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

フランケンシュタインの誘惑「ゆがめられた天才 幻の世界システム」 を見て

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科学の知られざる姿に迫る知的エンターテインメント。今回は、あのエジソンに勝利して世界初の大規模送電を実現し「電気の時代」の扉を開いた天才科学者ニコラ・テスラ!その後、現在の携帯電話につながる無線通信さらに無線送電までも100年以上前に構想、実用化をめざしたテスラ。資本の論理に翻弄され「マッドサイエンティスト」としてゆがめられ、やがてカルト的な信者を生み出してしまった。早過ぎた天才の悲劇と闇に迫る― 

 

19世紀後半に

電気の時代が到来しつつあった。

 

トーマス・エジソンは

蓄音機、白熱電球を発明し

実業家でもあった。

 

そのエジソンが

送電事業をやったときに 

対立した男が

電気工学者のニコラ・テスラ。

 

エジソンは直流電流を

テスラは交流電流をすすめた。

 

当時、交流はエネルギーとして

使いづらいと思われていた。

 

1856年、

テスラはクロアチアで生まれた。

 

小さい頃から

考えたものが映像が浮かんだという。

 

1875年、

グラーツ工科大学に入学し

電気工学者を目指した。

 

電気の利用法を模索していた時代。

庶民と電気の関係は遠かった。

 

1879年、

エジソンは送電事業を着手し

直流でやろうとした。

 

しかし、交流にすれば

電気を効率的に供給できるが

交流で動くモーターが

まだ発明されてなかった。

 

テスラは二相交流を発明し

交流モーターを作った。 

 

1884年、

ニューヨークに行き

送電システムを交流でやり

アメリカ全土に

電気を送る構想を発表した。

 

そのためには

莫大な資金が必要だった。

 

1888年、

ジョージ・ウェスティングハウスが

テスラの技術に投資を申し出た。

 

エジソンは資金力と名声を武器に

欧米で直流による送電事業を

展開しようとしていた。

 

エジソンは交流送電に対して

ネガティブキャンペーンを行った。

 

新聞で交流送電に対して批判的な記事を書いたり

動物を電気で虐待したり危険性を訴えた。

さらに、電気椅子に交流を使うように働きかけた。

 

テスラは逆に安全性を訴えたり

電気の科学ショーを行った。 

 

交流の送電事業は

資金面で危うくなり

ウェスティングハウスは財政再建を

考えなければならなかった。

 

それは、

テスラに特許権を放棄させること。

テスラはそれを了承した。

 

1893年、

経営を立て直した

ウェスティングハウス。

シカゴ万博の電気には交流が使われた。

 

そして、エジソンの会社も

交流システムになっていく。

 

1896年、

長距離発電が行われた。

 

交流モーターにより

洗濯機、掃除機なども発明された。

 

次のテスラの研究は無線であった。

電線を使わずに電気を送る。

 

電線を引けない地域の人まで

電気を送りたかった。

 

電気、電信、電話、ラジオ放送。

すべて無線でやろうとした。

 

1893年、

無線操縦ボードを完成し

公開実験を行った。

この原理を

当時の科学者はまったく理解できなかった。

 

無線を地球規模にし

電気と情報を無線によって送り届ける

世界システムを考えた。

 

世界システムの実験のため

1899年、コロラドに

30mのアンテナ施設を作った。

 

巨大なコイルを作り

地中と上空に電気を送り

電気が地球を一周したと確信したという。

 

しかし、世界システムを作る

資金のことをまったく考えてなかった。

 

投資をつのるため論文を発表する。

 

地球上どこでも人間は

暮らせるようになるといった内容。

 

軍事兵器の案もあった。

戦争はただの機械のコンテストになり

殺戮はなくなるという。

 

JPモルガンはテスラに賭けた。

 

テスラは世界システム実現のため。

80haの敷地に

60mのアンテナ塔をつくり

発電所や研究所、

働く人の宿舎まで考えた。

 

この事業に

JPモルガンですら賄うことができなかった。

 

そんなとき

発明家のグリエルモ・マルコーニが

無線電信に成功した。

 

電信のみにしぼり

マルコーニが成功した。

 

Sという1文字だったので

テスラはそんなに関心がなかった。

 

しかし、JPモルガンは

マルコーニの成果を聞いて

テスラの資金提供を打ち切った。

 

テスラは投資家の心理が

わかっていなかった。

 

テスラのスポンサー探しが難航する。

JPモルガンが見放したので

誰も手をあげようとしなかった。

 

テスラの世界システムは

非現実的だという見方が広まった。

 

ロングアイランドにある

テスラ・サイエンス・センター。

 

いまは

60mのアンテナを支えていた

基礎部分のみしかない。

 

1917年に解体処分された。

 

テスラはその後も

アイデアを発表し続けた。

 

無線の誘導ミサイル。

高周波レーダーなど。

 

しかし、

軍は何も反応を示さなかった。

テスラのやり方は実現しないという

見方があった。

 

1920年、商業ラジオ放送が始まる。

会社はウェスティングハウスであった。

 

テスラの発明を

もとにしたものであった。

  

1943年、心臓病が悪化して

86歳で亡くなった。

 

死後3日経って

発見されるという最期であった。

 

 テスラは

地震発生装置、殺人光線。

フリーエネルギーなども考えていた。

 

幼少の特異な能力や 

電気の魔術師などいった奇異的な面から

交流モーターの業績ではなく

オカルト方面に注目されるようになる。

 

ホテルの死亡した部屋は

テスラの部屋と呼ばれ

熱狂的なファンが

世界中から泊まりにくるという。

 

テスラは宇宙人と交流していたから

いろんな発明ができたという

ことまで言われている。

 

テスラ信望者のなかに

オウム心理教の信者もいた。

 

麻原彰晃は

阪神淡路大震災の原因を

地震発生装置だといった。

 

オウム心理教は

地震発生装置を

実際に作ろうとしたという。

 

現実を気にしないテスラと

オカルト傾向は

マッチするのではないか。

 

あまりにも

非現実的な遠い未来を語ると

科学がオカルト化になる場合がある。

 

感想

この番組は科学者の闇に

焦点を当てていて

テスラに闇の部分はあったのか

気になっていた。

 

さらに

オカルト方面まで

いくとは思わなかった。

 

ニコラ・テスラが考えた

電気や無線技術があまりにも

未来を先取りしていて

死後にオカルトしていった。

 

今で言えば人工知能も

オカルト化している風潮がある。

 

人間の脳みそにチップを入れたり

未来予測ができる、

人工知能によって

人間は選別されてしまうこと。

 

これらのことは

技術的には可能かもしれないが

時間がものすごくかかる。

 

ニコラ・テスラは

エジソンやマルコーニに対して

ライバル意識すらなかったのだろう。