誤謬日記

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アナザーストーリーズ 運命の分岐点▽あさま山荘事件 立てこもり10日間の真相 を見て

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1972年2月28日におきた「あさま山荘事件」。連合赤軍メンバーが軽井沢の山荘に立てこもり、10日目に県警、機動隊の強行突入! 鉄球と放水、そして催涙ガスが立ちこめる山荘内での攻防戦。あの日、あの場所で人々は何を考えていたのか?突入を指揮した機動隊隊長、現場から中継を続けたアナウンサー、そして山荘に立てこもった犯人が明かす貴重な証言を元に、10日間の知られざるアナザーストーリーに迫る。

 

1972年2月19日〜2月28日の

10日間に起きた

連合赤軍が

山荘管理人の女性を人質にとった事件。

 

人質は無事解放されたが 

3名の犠牲者がでた。

 

事件発生1日目。

NHKアナウンサーが現場にいったとき

すぐ解決すると思った。

 

日テレアナウンサーは

時間がかかると思ったという。

 

崖下に置かれたテレビカメラは

山荘に500m離れたところに配置された。

 

間取りは人質の夫から聞き

山荘には食料、燃料が備蓄されている。

 

共産主義革命の連合赤軍。

ベトナム戦争がおき、

反戦の声をあげた日本には日米安保反対運動が起こる。

 

学生運動は

東大安田講堂事件で終わったと思っていたが

一部が過激化してきた。

 

分裂したりした結果、

連合赤軍ができた。

武力行使をし犯罪を繰り返した集団。

 

警察は組織を壊滅していったが

連合赤軍は

最後に逃げた場所があさま山荘であった。

 

警察はあさま山荘を包囲した。

 

警察の目的は

『人質の無事救出し、

 犯人を生け捕りすること』

 

犯人を殺してしまったら

英雄になってしまう。

法によって裁きを受けさせる。

 

警察が山荘に近づくと

ライフルの弾が飛んでくる。

 

ただ、

連合赤軍からは要求も何もなく、

なんのために立てこもっているのか

わからなかった。

 

新聞には

その日の出来事が書かれていたが

論評がなかった。

 

立てこもり3日目。

犯人の母親の説得が行われたが

犯人はライフルを撃つ。

 

彼らは覚悟ができていて

本気で撃ってくると思ったという。

 

そして、

人質の身代わりを出た民間人が撃たれた。

 

沈黙が続き

すでに人質を殺害していて

もう自暴自棄になっている

という説もあった。

 

立てこもり4日目。

ニクソン大統領が中国を訪問。

共産主義の連合赤軍にとって

相容れない関係が握手をしていた。

 

今回の番組で

犯人の1人の加藤倫教さんが

取材に応じた。

 

5人の男が
あさま山荘に立てこもった。

 

3人は高学歴で

2人が未成年であった。

 

未成年だった

加藤倫教は

刑務所から出所し

実家の農業を継ぎ、

野鳥の会の支部長を務めた。

 

あさま山荘に立てこもった意味は

何もなく間違っていた。

籠城したら包囲されることはわかっていて

籠城する気はなかった。

 

1971年、

連合歴軍は警察に追われていた。

群馬、長野と逃亡している間に

仲間が逮捕されていく。

 

最後に逃げ込んだ場所が

あさま山荘であった。

 

あさま山荘で

車を見つけ、

車のキーを探しに

あさま山荘の中に入ったとき

夫人がいた。

 

加藤倫教は

すぐここから離れると思っていたが 

坂口弘から

中に入れと言われ不思議だと思った。

 

そして、

坂口弘から

籠城の選択を聞かされた。

 

坂口弘は

夫人のことを

人質とは考えていなかった。

 

解放したら

自分たちのことが警察に知られてしまう。

 

吉野雅邦は

母親の説得が聞いていられず

発泡したという。

 

連合赤軍は

交番を襲撃し銃を奪い

武装強化していく。

ゆくゆくは

自衛隊や米軍と戦う構想であった。

 

投降できなかった理由は

銃による闘争ができる人間になれと

仲間に要求してきたので

それはできなかった。

 

警察官とできうる限り

戦うことしかできなかった。

 

突入の時間は

報道陣のみに伝えられた。

 

そこには

警察幹部が世論を作る狙いがあった。

 

27日に決行する案もあったが

日曜日だったので夕刊がなく

情報が伝わるのが遅くなる。 

 

警察官は

マスメディアを通じて

いかに連合赤軍が

悪いものかと植えつけようとしていた。

 

鉄球作戦。

午前10時に強行突入が開始した。

 

クレーン車と鉄球があさま山荘に

到着する。

 

普通は

アームを動かして

勢いで鉄球を動かすが、

今回は

球を引き寄せて離すやり方で

威力がなくなる方法である。

 

そのような方法にした理由は

明かされていない。

 

機動隊は

1、2階まで行ったが

犯人と人質は

3階に立てこもっていた。

 

殉職者も出て

こう着状態が続いたりしたが

無事人質は解放された。

 

連合赤軍という

政府を批判することについて

有識者のなかにも

一定の理解を示す風潮があった。

 

しかし、

山荘に来る前

14名の仲間のリンチ殺人があって

連合赤軍の世間の目が変わった。

 

犯人は

死刑囚や無期懲役、国外逃亡中になっている。

 

 

感想

あさま山荘事件についての知識は

大きな鉄球で建物を壊した。

日本赤軍という共産主義者が立てこもった。

そこから共産主義者の活動は無くなっていった。

 

ということぐらいであった。

 

人質がいたこと、

10日間もの籠城であったこと、

殉職者が出たことなどは

知らなかった。

 

当初は

あさま山荘に立て籠もる気はなく

警察に追われて

一時的に逃げ込んだ場所であった。

 

しかし、結果的に

籠城する形になってしまった。

 

あっという間に

包囲されてしまっては

降参するしかない。

 

マスメディアは

彼らは何をしたかったのか

わからなかったという。

 

彼らは

ただ反抗するという

態度を示したかっただけだったと思う。