誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

イエス・キリストは実在したのか? (文春文庫) を読んで  

 

 

イエスは平和と愛を説いた救世主ではなく、 武力行使も辞さない革命家だった――。 全時代を通じたベストセラー「聖書」から いかなる史実が落とされ、何が創作されたのか? イスラーム教徒による実証研究で全米を騒然とさせた衝撃の書。 『イエス伝』を著した評論家・若松英輔氏による解説も収録。 〈本書の著者、レザー・アスランは キリスト教徒を通過したキリストからではなく、 イエスの口から神の教えを聞こうとしたのではなかったか。 そのためには厚く塗られた教会的信仰という覆いを取らねばならない。 彼がイエスの口から何を聞いたのか、 読者は、この本の随所でそれをかいま見ることになる。〉 (「解説」より)

 

読んでいくうちに、信仰心というか

ナザレのイエスに対する

神秘的な幻想がだんだんと消えていく。

 

紀元1世紀ごろ

ローマ帝国のユダヤ人に対する扱いがひどく

エルサムには自称メシアがたくさんいて

多くの人が十字架にかかっていた。

 

・ヒゼキヤ

・ガリラヤのユダ

・テウダ

・アスロンゲス

・ギオラの息子、シモン

・コホバの息子、シモン

 

ナザレのイエスも彼らのように

ローマ帝国に対抗する革命家の1人に

すぎなかったのかもしれない。

 

そこで重要になってくるのが

彼らとナザレのイエスの違いである。

 

彼らは政治的に暴動を起こしたが

ナザレのイエスは霊的な神の国の到来を

言ったといえるかもしれない。

 

しかし、この本はあくまでも

ナザレのイエスを

政治的な革命家として論じている。

 

皇帝のものは皇帝に

神のもの神に返せという言葉も

神のものであるユダヤ人の土地を

ユダヤ人に返せという意味にも取れる。

 

山上の説教、

貧しいものは幸いであるからの言葉も

革命が成功し

支配階級であるユダヤエリートやローマ帝国がほろび、

弱者が豊かになる、

まさにキューバ革命のようなものを

イメージしていたのかもしれない。

 

例えを用いたのも

ローマからの処罰を免れるためであったこと

さらに十字架にかかることを予言していたのも、

革命家としての自覚だったといえる。

 

旧約聖書には

イエスに関することが記述されているが

それも後付け。

   

ヘロデ王の幼児虐殺も

歴史として資料がなく作り話の可能性が大きい。

イエスがベツレヘムで生まれたことにするため

作られたという。

 

処女で妊娠した話もそうである。

 

1世紀のエルサレムでは

祈祷師という職業があり

奇跡を行う者は

イエスだけではない。

 

ユダヤ教ナザレ派に反対する

ローマ帝国やユダヤ教の資料は

イエスのやったことは魔術だというが

イエスの行った人を癒す奇跡は否定していないので

イエスの奇跡は本当という見方もできる。

 

そんなようなことを読んでいると  

イエスに対する見方が変わり

彼は何者でもなかったのではないかと思えてくる。

 

ペトロ、ヨハネ、ヤコブという

十字架にかかる前のイエスに

会っていた人たちのグループ、ユダヤ教ナザレ派の思想は

ローマ帝国によりエルサレムが滅ぼされたとき

一緒になくなった。

 

そして、

パウロ書簡だけが残り、新約聖書となっていった。

 

キリスト教が世界宗教になったのは

パウロのメッセージが素晴らしかったからともいえる。

 

兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。

 

その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。

 

兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。

 

だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。

 

いつも喜んでいなさい。

 

絶えず祈りなさい。

 

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 

 喜び、感謝、愛など

人間の本質について説いている。

 

パウロが持つイエス・キリストのイメージによって

キリスト教は世界宗教になった。

 

だからパウロが

キリスト教の開祖を呼ばれる所以である。

 

もうそれでいいような気がしてくる。

 

自分は史実としてのイエスを信じているのではなく

パウロが持つキリストを信じているのだと

そう考えるとパウロ書簡が大変に重要になってくる。

 

 

フェクイニュースは

真実よりも多くリツイートされ

拡散されるという。

 

thebridge.jp

 

新約聖書もそうなのかもしれない。

人間はフィクションを信じることができる生き物。

 

この本は、徹底的に

キリスト教のイエス・キリストは

作り物だと言う論調で展開するが、

最後にナザレのイエスは信じるに値する人物であるという。

 

確かにナザレのイエスは

カリスマ性があり世界最高のスターであることは間違いがないし、

立場の弱い人たちの味方であることは事実である。

 

そのような人物が

神の子と呼ばれていることに違和感はない。