誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

シリーズ 欲望の経済史~ルールが変わる時~第3回「勤勉という美徳」 を見て

 

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労働こそが「価値の源泉」であるー。宗教の論理と経済の論理が美しく親和性を持った時代、その背景にあったドラマとは?「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が合致したとされてきた時代、そこで展開した欲望の論理とは?勤勉が美徳となり富が蓄積される。この時経済学の父アダム・スミスの果たした役割とは?カルヴァン派の目指した真の社会とは?時代のベースにあった精神を読み解き、もたらされた価値観を考える。

 

PIIGS(ピッグス)

カトリックの国々は

財政が悪く経済大国ではない。

 

カトリックは伝統を重んじ

社会が変わらないことを良しとする。

 

一方、プロテスタントは

社会の発展が良しとされる。

 

カトリックの国である

スペインもポルトガルも帝国であった。

 

植民地支配により

ありあまる富ができたにもかかわらず

経済大国にはならなかった。

 

植民地により得た富は

自国のカトリック教会に寄付することになり

投資にはならず、ただ消費されたのである。

 

プロテスタントの宗教倫理は

誠実、勤勉、献身である。

それが仕事と結びついた。 

 

カルヴァンは

天国にいくかどうかは

あらかじめ決まっているという予定説をとなえた。

 

では、自分が神から愛されているのかどうか

どこを判断にすればいいのか。

 

それは天職での成功である。

 

神から与えられた使命(労働)で成功すれば

自分は選ばれた人間である可能性が出てくる。

 

だから仕事で成功することが

生きがいとなるのである。

 

逆に 労働意欲がなければ、

神の恵みがないということになる。

 

富を得た場合、

カトリックは寄付をするが

プロテスタントは蓄財し、投資する。

そして、それが社会の貢献であると自負している。

 

印刷業から政治家になった

アメリカのベンジャミン・フランクリン。

 

彼は倫理的な暮らしをして

アメリカの宗教倫理的な見本となった。

 

資本主義による蓄財には

個人の強い宗教的な倫理観が必要である。

 

この宗教的な倫理観がなければ

ただ、自分のために蓄財するようになり

社会が回らなくなってしまう。

 

だから、現代にも

宗教的倫理観が必要なのである。

 

しかし、現代には

人工知能によるビジネスの変化という

大きな波がきている。

 

仕事に対して宗教倫理を持ち出し

誠実、勤勉、献身で仕事をしても

うまくいくとは限らない。

 

むしろ逆であり、いかに物事を簡略化し

楽な道を行くかがビジネスの成功となっている。

 

人工知能が経済を回すようになれば

どのように分配するかという問題が出てくる。

 

プロテスタントの

経済成長が重要という価値観ではなく

 

精神的な幸福を考えないといけない。

 

人工知能により

宗教と経済との関係も改めていく

時代になっているのかもしれない。