誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

BS1スペシャル「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」 を見て

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かつて長崎にも“原爆ドーム”があった。爆心地近くにあった教会・浦上天主堂だ。戦後、原爆の悲惨さを語る遺構として、注目されていた。長崎市はずっと保存する方針だったが、突如、長崎市長と教会のトップが取り壊しを主張。市民の反対運動もむなしく、姿を消すことになった。決断の背景には何があったのか?長崎市と教会、二人のトップの足跡をたどってアメリカへ。さらに当時を知る関係者を徹底取材。大いなる謎に迫る。

  

原爆ドームと並ぶ

原爆被害の象徴であった

浦上天主堂が取り壊された。

 

この取り壊しには

長崎の田川市長と

カトリックの山口司教の

2人のトップが関わっていた。

 

市民が取り壊しに反対するなか

アメリカの意向で取り壊しを決定するなんて

とんでもない2人だと思って番組を見ていた。

 

しかし、

田川市長と山口司教は

市職員と信徒さんから愛されていたのである。

 

心変わりの理由に

2人とも渡米したことがあるかもしれないが

決定的な証拠が見当たらない。

 

原爆の被害を忘れさせたいアメリカと

原爆を忘れたい長崎の信徒さんの考えから

取り壊しを決定したと思われる。

 

信徒さんいわく、

キリスト教は物に頼るのではなく

心が大事だという観点から残すべきでない。

 

被爆した浦上天主堂を見ることによって

神様を恨んでしまうということ。

 

浦上はキリシタン弾圧のなか

信仰を守ってきた聖地であり

原爆被害の象徴は合わないという意見。

 

番組の最後で

旧浦上天主堂の写真に対する

メッセージで

田川市長と山口司教の言葉があった。

 

2人とも被爆した浦上天主堂を

残したかったニュアンスが含まれて

番組を見て行くうちに

2人に対するイメージが変わっていった。

 

原爆被害をうけた浦上天主堂を見て

気持ちが暗くなってしまうことよりも

早く復興したいという気持ちから

取り壊してほしいという意見。

 

今の人々の気持ちよりも

後の世の人の戒めのため

残した方がいいという意見。

 

広島と長崎で

意見が分かれたように思えた。