誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

ザ・プロファイラー「2000万人を死に追いやった男~スターリン~」 を見て

 

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フ・スターリン。ジョージア(グルジア)の貧しい靴職人の家に育った男は、人々を抑圧から解放するため革命で帝政ロシアを倒したはずだった。しかし権謀術数を巡らせライバルたちを亡き者にして権力の座に就くや、救うべき貧農たちを飢餓に陥らせ、次々と強制収容所に送っていく。さらに密告社会を作り上げ、処刑ノルマを課すまでになる。「人は自分で神を作り出し、それに隷属する」そううそぶく希代の独裁者をプロファイル。

  

1878年12月18日

ジョージアの農村で

ヨシフ・ジュガシヴィリが生まれた。

 

13歳のとき、

公開絞首刑で

ジョージア人が

ロシア人によって裁かれたのを見たという。

 

ジョージアは当時

ロシア帝国の支配下にあった。

 

ロシア皇帝の権力によって

ロシア語を強制させられ

貧しい生活を送っていた。 

 

ジョージア人はキリスト教に救いを求め

ヨシフは聖職者を志していた。

 

絞首刑の現場に

教会学校の教師が

見学のために来させていたのであった。

 

このとき、

世界は不公平で神は存在しないと

思ったという。

 

ヨシフは 

教会学校を退学し革命活動に専念する。

 

4年後、 

地主や資本家に対してストライキをした罪で

シベリアに流刑される。

 

そのとき 

ウラジミール・レーニンのことを知る。

 

特権階級から労働者に分配し

社会主義国家を目指す、

レーニンの思想に共感し

ロシア帝国と敵対する。

 

逮捕7回、流刑5回。

3億円を強奪し、レーニンにお金を送る活動。

 

このころに、スターリンと名乗り

ロシア語で鋼鉄の人という意味。

 

レーニンは宮殿を占拠し

社会主義政権、ソビエトが誕生した。

 

その中枢にスターリンがいたが

高等教育を受けていなかったので

末端なポジションであった。

 

そのときの仕事は

クラークという豊かな農民から

食糧を奪うという仕事。

 

見せしめの処刑のノルマが言い渡された。 

 

スターリン

「死ねば問題が解決する。

 全員死ねば何の問題はなくなる」

 

1917年。

ソビエト連邦共和国が建国。

 

スターリンが持っていた

レーニン著の「国家と革命」に

独裁という言葉が書き込まれていた。

 

スターリンは

共産党書記長に就任する。

 

仲が悪かった

レフ・トロツキー軍事担当大臣と

出世争いでライバル関係となる。

 

トロツキーは

裕福なユダヤ人農家の出身であり

雄弁家であった。

 

貧しい農村の出身の

スターリンとは相容れない関係であった。

 

1924年に

レーニンが死去し

葬儀はスターリンが担当する。

 

モスクワに休養していた

トロツキーに葬儀の日にちを

わざと間違えて伝え、欠席させた。

 

そのことにより

トロツキーの

権威が失墜し党から除名させた。

 

スターリンは

ソビエト連邦の最高権力者となる。

 

モスクワの赤の広場に

レーニンの遺体は永久保存してある。

 

スターリンは

レーニンを神格化し

レーニンの銅像をたくさん作り

農村には写真を飾るようにした。

 

それは

レーニンの意志引き継いだ自分を

神格化するためであった。

 

ソビエトは 

資本主義諸国から敵視されていて

イギリスと国交断絶していた。

 

ソビエトは

近代化が遅れた国であり

重工業化を目指すため

穀物の輸出でお金を得ようとする。

 

国の管理下のもと

農業をやってみたが

大凶作となってしまう。

 

しかし、ノルマとしての徴収はやり

1年で400万人が餓死した年もあった。

 

妻、ナージャも非難した。

抗議のため

自らピストルで自殺したが

スターリンは考えを変えなかった。

 

強制収容所に

抵抗する農民をどんどん送った。

 

スターリンは

ロシアの16世紀の皇帝

イワン雷帝の映画を作る。

恐怖政治を行った暴君であった。

 

1934年、

共産党党大会の演説。

この会場にいた半数以上の党員が

処刑されることになる。

 

大粛清といい

年30万人もの処刑が行われた年もあった。

 

ヒトラーでさえ

「スターリンは病気だ

 なぜ、こんなことをするのか」といった。

 

スターリン体制が磐石となったとき

共産党の幹部を粛清していく。

 

農業政策の失敗から

党の幹部が責任を追及する可能性が

あったためだといわれる。

 

一般人は

密告を恐れていたが

密告をする側になっていった。

 

地方の党支部への命令で

処刑ノルマを行う。

 

冗談のような罪まででっちあげされ

誰でも死刑にできるようになった。

 

その時代の一般人いわく

「スターリンの時代に

 党が間違うわけがない」と思っていたという。

 

2013年、

スターリン生誕をいわくパレード。

アンケートで半分が

スターリンの役割を肯定していて

現在のロシアでも支持されている。

 

独ソ不可侵条約を破ったヒトラーと

対抗し戦勝国となったからである。

 

ロシア帝国時代の軍服を復活させ

他は粛清されていたから

リーダーはスターリンしかいなかった。

 

ソビエト軍の捕虜に

長男のヤコフがいた。

 

ドイツから捕虜交換があったが拒否し

ヤコフはドイツ収容所で死亡してしまう。

 

スターリン

「他の兵士をおいて

 ヤコフだけを助けたら

 私はスターリンではなくなる」

 

指令227号。

軍の後ろに銃殺部隊を配置し

一歩でも後ろに下がったら

銃殺するという。

 

1953年

スターリン死去。

 

 

感想

少年時代に経験した

絞首刑の話は本当なのかという疑問が

番組ではあったが

自分は本当の話だと思う。

 

スターリンは

窮屈に生きようとしていたのかもしれない。

考え方にグレーゾーンがないという印象を受けた。

 

聖職者を目指していたが

絞首刑のようすを教師が見学のため連れて行ったら

嫌になって別の仕事に就くか

違うタイプの聖職者になるかだと思う。

 

こういった

エリート教育を受けていない人は

妥協という正義感を知らないことが多い。

 

普通のエリートは、

自分の組織が

まずいことをやっていても

それも仕方ないなと妥協して

うまく世渡りしていくが、それができない。

 

エドワード・スノーデンと似ていて

正義感に対して妥協ができなくて

自分が正義側のスーパースターという

感覚に浸ってしまう。

 

友達がいないとそうなりやすいという。

そういったことを考えると

スターリンは

友達がいなかったのでないかと思う。

 

 

スターリンは独裁者で

たくさんの人を処刑してきた。

 

しかし、現代の評価として

ヒトラーとは違う。

 

この違いは

どこから来るのだろうか。

 

ヒトラーはユダヤ人を迫害してきたが

スターリンはロシア人を

国家反逆罪として処刑してきた。

 

ヒトラーもスターリンも

少年時代に経験した

悪いことをした人たちの

人種に敵対心を抱いている。

 

そのことを

大人になっても忘れず

いつか見返してやるという感情が

そうなってしまったと思う。

 

ただ、なぜ

こんなにも現代の評価が違うのかが

わからない。

 

処刑の仕方の問題なのだろうか。

強制収容所に送って

毒ガスで殺害するのと

銃で一発で処刑する違いなのだろうか。

 

考えたが

ドイツの場合、戦争で負け

ナチスは悪だということで

反省してきた。

 

ソビエトの場合、戦争で勝ち

スターリンのやったことに

反省がなく評価され、その流れが

いまのロシアにつながっているのでは

ないかということ。

 

日本の場合、戦争で負け

戦争をした人たちの

子孫が今も政治の中枢にいる。

ロシアと同じく

反省ができてないのだと思えてくるが

ただ、政治家は評価されていない。

 

日本の政治家の評価が

とても低いのは

戦争で負けた責任が

今もひきづっている証拠かもしれない。

 

 

現在、粛清といえば

金正恩が思い浮かぶ。

 

彼もスターリンと同じように

リーダーは彼しかいない

という状況になっている。 

 

それが国のためになっているかは

なっていないということである。

 

そうなると日本の場合、

リーダーは安倍首相しかいないという状況と

似ているかもしれない。 

 

 

スターリンは名言が多いのが気になった。

たくさんの本を読んでいたのか

それとも

自分の行いは間違っていないと

納得したかっただけなのだろうか。

 

名言好きは 

ロマンチックな面がある。 

 

ロマンチックは革命家として

重要な資質だが他人に冷酷な面がある。