誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

歴史秘話ヒストリア 謎の古代王 最後の戦い 日本のポンペイから探る を見て

www.nhk.or.jp

 

1500年前の火砕流の下から、ヨロイを着た男性を初め、4人の古代人の骨が発見!歯の分析から、彼らは家族だった可能性が出てきました。ところが、現場に残された足跡から、ほかの住人は火砕流発生前に整然と避難していたことが判明します。4人はなぜ危険な場所にとどまっていたのでしょうか?

 

男性

女性

乳児2人

4人のミイラが発見された。

 

男性は

身長164センチ

渡来人の血を引いていて

40代前半ぐらい。

 

女性は

身長143センチ

縄文系の顔

30代後半ぐらい。

 

最新の研究により

2人の大人は榛名山の生まれではなく

長野県の伊那地方の生まれであることがわかった。

 

一緒に群馬に移り住み

乳児は榛名山の生まれ

4人は家族だった可能性がある。

 

男性はヨロイを着て

うずくまった格好でなくなっていた。

 

大量の足跡も発見された。

一つの方向に向かって行った形跡から考えると

弱い噴火があって

最初は、みんなゆっくり避難していったのだと

考えられる。

 

しかし、王である

男性の家族だけ残っていた。  

 

群馬県には保渡田古墳群というのがあり

いろんな種類のハニワがたくさんある。

ヨロイのハニワがあって

それが作られたのが、あの噴火と同時代のものだった。

 

ヨロイのハニワは

王に仕えた武人だと思われていたが

王の墓から

鎧が発見されていたので

ヨロイを着たのは王だと考えられる。

 

そして、ヨロイのハニワは

西洋の王の姿に似ている。

 

騎馬民族のスタイルであり

馬と関係のある王であった可能性もある。

 

近年、馬の骨が見つかった。

長野県の伊那地方では馬が飼育されていて

馬の生産のため群馬に移動してきたのか。

 

 

このミイラの不可解な点は2つ

・なぜ王はヨロイを着たままなくなっていたのか

・なぜ榛名山に向かってうずくまっていたのか

 

 

<仮説1>

王は榛名山の噴火を鎮めるために

祈っていたから。

神を祀ることも王の務め。

 

<仮説2>

王は宝物を持ち出していた。

2つヨロイがあり

避難したあとに

王であることを示す宝物を

持ち出さないといけなかったから。

王の手のなかには兜があった。

 

<仮説3>

王は戦おうとしていた。

古事記にもある妖怪退治という面。

火山が妖怪の仕業と信じられていたため

ヨロイを着ていた。

 

 

 

1500年も昔になると

自然災害もロマンになると考えると

時が経つというのは

その出来事の捉え方を変えると思った。

 

2014年には

御嶽山の噴火があり

50名以上が犠牲となった。

 

最近、噴火で犠牲になった

遺族の方々が国と県に損害請求するという

ニュースがあった。

www.jiji.com

 

 

どこまで時間が経てば

客観的に自然災害や戦争を

捉えることができるのか。

 

東日本大震災や太平洋戦争は

まだ客観的に捉えることができない。

 

関ヶ原の戦い西南戦争

客観的に捉えることができるかもしれない。

 

日清戦争日露戦争など

生きている間に

それらを経験した

世代がなくなると

客観的になれるのかもしれない。

 

ただ、番組を見ていて

そういった出来事を

文章や絵か何かで残していくこと

そういうことが

大事なのかと思った。