誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

ザ・プロファイラー「未来を信じ続けた“緑の闘士”~ワンガリ・マータイ~」 を見て

www4.nhk.or.jp

 

岡田准一がMCを務める歴史エンターテインメント。アフリカ人女性として初めてノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイ。荒れた大地に木を植える「グリーンベルト運動」を続ける一方、当時の政権と闘った。投獄されても屈しない姿から「緑の闘士」と呼ばれた。ノーベル賞受賞後、来日した際に「モッタイナイ」という言葉に出会う。資源を大切にする心を一言で表せる言葉として感銘を受け、世界に「モッタイナイ」を広めていく

  

比較的裕福な農家の娘として生まれ

料理、洗濯、畑仕事、水汲みなど

母親の手伝いをして過ごしていた。

 

8歳の時、小学校に入学し

字を書いたり、消しゴムにとても驚いたという。

高校をトップで卒業し、アメリカに留学した。

 

当時のアメリカでは公民権運動が始まり

大学では生物学を専攻し

たくさん勉強した。

 

1963年、ケニアは独立し

2年後に帰国。

ナイロビ大学の獣医学部の助手として働いた。

ケニアのために尽くしたいという気持ちで。

 

初代大統領、ケニヤッタ大統領。

商品作物を輸出し外貨を稼ぐ政策を進め

森林伐採をし、草地が失われ

水汲みが大変になった。

さらに薪の不足で病が蔓延した。

 

マータイが女性に木を植えればいいと言ったが

木の植え方を知らなかった。

アフリカでは木は神様からの授かりものという

考えがあったのであった。

そしてマータイの植林活動が始まった。

 

その後、実業家の男性と結婚し

3人の子供に恵まれ

さらに、夫は国会議員になり

大学の教授として働く。

 

結婚から8年、

仕事から帰宅すると

家の荷物がなくなっていた。

 

夫が離婚裁判を

有利に進めるため新聞にデマを流した。

 

マータイの学歴や能力も高かったので

妬みもあったり

批判も大きくなった。

 

裁判では敗訴してしまい

男性有利の判決ついて批判をし

法廷侮辱罪として

刑務所に入れられてしまう。

 

友人の助けもあり

3日で釈放できた。

 

大学を辞め

国会議員になろうとしたが

書類に不備があり立候補できなかった。

 

ノルウェー森林協会が

マータイの植林活動に資金援助をし

グリーンベルト運動に

数千人の女性が参加した。

 

第2代、モイ大統領。

政府を批判する人を弾圧していた時代。

 

公園に超高層ビル銅像を作る計画を

知ったマータイは開発計策阻止を

立ち上げるが誰もついてこない。

 

海外の政治家や

海外のメディアに手紙をかけ

ケニア大統領を批判してほしいという内容。

 

欧米諸国からの批判を無視できなくなり

プロジェクトは中止となった。

 

民主化の運動をする若者を

逮捕していた政府。

 

その釈放を願うストライキ

マータイも母親もストライキに参加した。

 

モイ大統領は警察部隊で

強制排除におこなった。

 

マータイは

意識不明の重体となってしまったが

ハンガーストライキは続き

全員が釈放された。

 

政権交代がおき

第3代 キバキ大統領。

マータイは国会議員に当選した。

 

しかしケニアにはまだ問題があった。 

民族間による争い。

森林伐採のため

水源や緑地の取り合いが起きていたのだった。

 

グリーンベルト運動によって

水や草木もよみがえりつつあり

紛争の解決の助けになったり

男性の女性に対する意識も変わった。

 

マータイさん

MOTTAINAIという言葉を広め

ケニアでは国葬が執り行われた。

 

 

アフリカでは

貧困、紛争などのイメージが強くあったが

なぜこんなことになっているのか

わかった気がした。

 

問題は商品作物である。

コーヒー豆や紅茶が諸悪の根源だと思った。

それらを作るため

森林伐採が行われ

食料不足や水不足などの問題ができ

病が蔓延しているといったところである。

 

独立から

このようなことが起こっている。

 

これで本当に

独立したといえるのだろうか。