誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

映像の世紀プレミアム 第1集「世界を震わせた芸術家たち」 を見て

www.nhk.or.jp

 

動く映像として初めて記録された巨匠・トルストイに始まり、1920年代のアメリカで花開いたジャズエイジ、ユダヤ移民が築いた映画の都ハリウッド、ナチスに抵抗を続けたピカソチャップリン、そして戦後のベビーブーム世代を熱狂の渦に巻き込んだビートルズボブ・ディラン、さらにはベルリンの壁の崩壊にもつながったデビッド・ボウイの伝説のライブの映像などで20世紀をたどる。アンネ・フランクの貴重映像も登場する。

 

1900年のパリ万博のときに

ピカソは華やかなパリ文化を絵にした。

 

当時のスターは

映画俳優ではなく作家だった。

そのなかでも

知識人であるトルストイ

世界的に有名だった。

 

1904年、日露戦争が始まると

トルストイ日露戦争に反対し

大きな反響となった。

 

「殺生を禁じる仏教徒の日本と

 互いを愛せよというキリスト教徒のロシアが

 お互い憎悪を持って戦っている。」

 

世界一の工業国となったアメリカ。

チャップリンは希望を持って

アメリカに渡り、映画作りに携わる。

 

蓄音機が生まれ

オーケストラによる

ベートーヴェンの全曲録音が行われた。 

これは貴族文化の終わりでもあった。

 

第一次世界大戦が始まり

イギリスでは徴兵制がなかったため

愛国心を煽るキャッチコピーやイラストの

ポスターを制作し

兵士を集める手法として利用した。

 

アメリカでは参戦が発表されると

オーバーゼアという曲が作られ

何回も流して

兵士の戦争への士気を高めていった。

 

チャップリンの映画「公債」も作られ

公債のハンマーで

ドイツ皇帝ウィルヘルム2世を倒すという内容。

 

戦争体験から文学作品も生まれた。

戦地での残酷な体験を書いた

西部戦線異状なし

 

彫刻家のアンナ・コーマン・ラッドは

戦争で傷ついた兵士の顔のマスクを作り

社会復帰を助ける仕事をした。

  

マンハッタンでは

アール・デコという様式で

超高層ビルの建設が始まる。

 

娯楽施設とオフィスが同居する 

ロックフェラー・センターを建設。

 

近代美術館の設立など

西洋から芸術作品を取り寄せて

文化がないと思われていた

アメリカを文化国にしようとしていたのであった。

 

1929年、世界恐慌が起きると

ヒトラーが登場し

「芸術、文化、技術は

 アーリア人種が作ったものなので

 世界的支配者になり得る」と

ナチスは文化面でも

大きな影響を持つことになる。

 

ナチスは禁書や

ユダヤ人の作品など

他の文化は排除していた。

 

1937年、パリ万国博覧会

ドイツ館とソ連館が注目され

金賞を同時受賞。

 

ドイツの映画「意志の勝利」

党大会の壮大さを描いた作品。

監督はレニ・リーフェンシュタール

レールなどを使った撮影など

とても斬新な手法で注目された。

 

今は上映禁止であり、監督は追放された。

 

このパリ万博博覧会では

ピカソゲルニカという作品を出していたが

見向きもされなかった。

 

チャップリンの邸宅から

独裁者の幻のラストシーンが見つかった。

兵士たちが武器を捨て踊るシーン。

 

ハッピーエンドだったが

ナチスの脅威で

ハッピーエンドはありえないとし

チャップリン自ら演説するという内容になった。

 

ソ連の作曲家

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ

ファシズムとの戦いをテーマにした交響曲であり

兵士慰問のときに演奏されていた曲だったが

もう一つの意味があった。

 

恐怖や暴力のソ連体制の

指導者に向けたものだという。

 

ヒトラーの生誕祭で

ヒトラーは出席せず

合唱団は

すべての人々は兄弟となると歌った。

 

日本は

戦争で亡くなった人の慰霊祭で

海行かばが歌われた。

 

海行かば

玉砕が報じられるたびに流され

特攻隊に行く前にも流された。

 

終戦直後の日本では

軍歌は誰も歌わなくなり

並木路子さんのリンゴの唄がヒットとなる。

 

アメリカは繁栄し

文化面でも世界をリードしていく。

エルビス・プレスリー。 

マリリン・モンロー

 

ソ連チャイコフスキー国際コンクール。

ソビエトの文化的優位を誇示することが狙いだったが

アメリカ人のヴァン・クライバーンが優勝した。

 

審査員は共産党の幹部に

誰を優勝させるか審議しようとしたが

だれが優勝だったのかは

誰の目にも明らかであった。

 

アメリカは赤狩りが始まり

チャップリンはその対象になり

ヨーロッパに行くことになる。

 

「自由を求めてアメリカにきたが

 自由が失われ再びヨーロッパに戻った。

 偉大な芸術家が生きる時代ではない」

 

 

宇宙中継「OUR WORLD」という番組。

日本は生まれたばかりの赤ちゃんの映像。

イタリアはロミオとジュリオの撮影風景。

イギリスはビートルズの新曲のレコーディングの生中継。

 

テレビでは

ベトナム戦争の映像が流されていた。

 

フランス、ゴダールはデモを撮影。

イギリス、ミックジャガーは若者たちを肩を組み

アメリカ、ジョンレノンのベッド・インを行う。

 

ベトナム戦争が終わると

若者たちの運動は下火になっていった。

 

ベルリンでは

キース・ヘリングが壁に絵を描き

デビッド・ボウイは目の前でコンサート開く。

 

 

パリ同時多発テロ

イスラム主義者は出てけのデモが起きるなか

1人の男性がピアノを持ち込みイマジンを弾いた。

その様子が撮影され、ネットに投稿され

翌日イマジンを歌う参加者が増えていった。

そのなかにはマドンナがいた。

 

 

トルストイいわく

「芸術は気持ちを伝えることであり

 芸術にはその務めがある」

 

 

20世紀という激動の時代のなか

ただ単に、宗教画や宗教音楽、

権力者の要望に応えるだけの

作品を作っていた時代とは異なり

社会に対して意義を唱える芸術家が

多くいたということ。

 

ただ、反戦のための作品を作る芸術家もいれば

国威発揚のために作品を作る芸術家もいた。

 

ネット社会になり

一億総クリエイター時代と呼ばれ

個人で作品を作って発表できてしまう時代でもある。

 

結果、それが周りの人に

いい面も悪い面も

影響を与えていくことになる。