誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

ザ・プロファイラー「“女性に自由を”ファッション界の革命児~ココ・シャネル」 を見て

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男性の下着に用いられていたジャージーや、喪服の色だった黒を取り入れるなど、働く女性のために次々と斬新なファッションを生み出したココ・シャネル。「私は誰のものでもない。私の主人は私」と語ったシャネルは、ファッションだけでなく、生き方そのものも革命的だった。働く女性として生涯独身を通したシャネルだが、実は結婚に憧れてもいた。孤児院での暮らしから、世界のモードを変えるまでになった知られざる人生に迫る。

 

1883年、フランスで生まれる。

ガブリエル・シャネル

家は貧しく、母は急死し

父はシャネルを孤児院に入れた。

そして孤児院で育ったことを隠していた。 

 

孤児院の生活では

聖歌を大声で歌い、

食事に口をつけないなど反抗的な子供であった。

さらに裁縫をやらされていた。

 

孤児院を出ると

お針子の仕事をする。

 

しかし、とても貧しかったので生活を変えたかった。

ナイトクラブで歌手を目指す。

その時、歌った歌詞からココという愛称で呼ばれる。

 

ブルジョア青年将校の愛人となったが

退屈になり、乗馬を始める。

 

女性の乗馬する格好は

スカートのまま横座りをしていたので

男性と同じ乗り方をして乗馬服を着たかった。

 

自らシンプルな帽子を作り

周りの女性から注目を浴び

帽子作り工場を立ち上げ

帽子店も開くようになる。

 

アーサー・カペルというイギリス人実業家が

シャネルに資金を提供する。

帽子店は大評判になった。

 

女性服も作り始め

女性服のお店を開く。

 

ジャージードレスといい

着心地がよく

ゆったりしたスタイル。

 

批判があったが

自らモデルとして街を歩き

宣伝活動も行う。

 

第一次世界大戦が始まると

男たちが戦場にいき

女が働くようになり

1人で着替えができる服が流行る。

それがシャネルの服だった。

 

アーサー・カペルは

イギリス貴族の娘と結婚し

シャネルは愛人として生きて行くことを決心したが

カペルは交通事故にあって亡くなってしまう。

 

<香水「シャネルN5」>

ロシア皇帝のいとこであり、ドミトリー大公が

フランスに逃れていた。

 

シャネルは

ロシアの香水文化に刺激をうけた。

 

調香師を紹介してもらい

シャネルは香料を混ぜ合わせて

何十種類も作った。そのなかの5番だった。

 

ツイード

ウエストミンスター公爵は

イギリス王家の血を引くお金持ち。

 

そのイギリス紳士服の着心地のよさを

女性のジャケットやコートに応用した

 

リトルブラックドレス

黒は喪服の色だったが

アメリカの雑誌、Vogueが高く評価する。

黒は貧しい娘の服だというのがあった。

 

 

 

マルチクリエイターで

シャネルと同い年の男性、

ポール・イリブと交際する。

 

しかし、52歳のとき、

心臓発作で亡くなってしまう。

 

戦争前、

フランス全土でストライキがあり

シャネルの会社でも従業員4000人がストライキを起こす。

 

第二次世界大戦が始まると

オシャレどころではなくなり

香水とアクセサリー部門を残し

洋服部門から撤退。

 

戦争が終わり

クリスチャン・ディオール

ニュールックが流行る。

 

これが

男目線のファッションであり

女性の着心地を考えていなかった。

 

70歳になったシャネルは

コレクションを再開したが

フランスの新聞では

流行遅れなど批判が並んだ。

 

でも、アメリカの雑誌LIFEは絶賛した。

 

 

感想

シャネルということで

ナチスとの関係を取り上げるのかどうか興味があった。

 

この番組では取り上げられていなかったが

シャネルはナチスのスパイという噂がある。

 

女性服のためなら

なんでも利用するという感じをうけた。

 

それと同時に

反骨精神がものすごく高い。

 

孤児院に入れられたことに対する

父親への怒り。

それが男性目線の女性服と重なったのかもしれない。

 

孤児院のマークが

シャネルのマークと似ていたり

モノトーンでシンプルなもの。

つまり孤児院の文化で

フランス貴族文化をぶっ壊したいという

思いがあったのかもしれない。

 

 

ココ・シャネルには名言が多い。

 

「私は女性の体を自由にした」

 

「私は往生際が悪い、

 やり直すことしか考えてない」

 

「仕事が終わることが怖い。

 だから日曜日が嫌い。」

 

「仕事は私の人生をむさぼり尽くした」

 

 

戦争時、

洋服部門を撤退させたことについて、

岡田准一さんが

「僕らもそうだけど

 求められなくなったら終わりというのがあったんだと思う」と

言っていた。

 

アイドルは常に空気を読み

ファンが何を求めているか察知し

それに応えるという。

いわば自我をなくさないとできない仕事でもある。

自分がこれをやりたいという仕事ではない。

 

シャネルも

自分はこれがやりたいんだ!というようなことではなく

女性のためにというか、奉仕というか、

そういう気持ちで仕事をしていたのかもしれない。