誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

100分de名著 エミール 第1回 自然は教育の原点である を見て

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「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」という言葉が示すように、徹底した自然の賞揚、人為への批判をベースにして教育論を展開した書「エミール」。人間の成長や発達をもたらすものとして「自然」「人間」「事物」の三つを挙げるルソーは、それらを調和させることで、架空の孤児エミールを理想的な人間を育てようとする。ではそれはどんな人間なのか? ルソーは、自分のためだけに生きる「自然人(オム・ナチュレル)」と社会全体の中で自分を位置づける「社会人(オム・シヴィル)」という相対立する二つの人間像を提示し、折り合いにくいこの二つを統一した人間を育てることこそ、人間が幸福の障害を取り除くための大きな鍵を握っているという。第一回は、ルソーが提起した「自然教育」の根本理念を明らかにし、「自分のため」と「公共のため」という相矛盾する要素を両立する「自由な主体」とはどんな存在か、それを育てるには何が必要かを考えていく。

 

ルソーは恋愛小説も書いていた。

音楽の才能もあり

最初は音楽で身を立てようとしていた。

♪むすんでひらいてはルソーが作った曲と関わりがある。

 

エミールは、教育の本。

49歳の時に書いた本で

仮想の少年、エミールくんの5段階の発達として

書かれている。

 

子どもの発達について書くことは

当時のフランスでは新しかった。

 

上流階級の子どもの教育、

古典を暗唱させるような教育を批判した。

 

ルソーの思想は

自然に帰れという標語だと言われているが

本人はそう言ってなくて

教育や文明をコントロールしなくてはいけないということ。

 

子どものために3つ大事な教育がある。

・自然の教育(先天性による発達)

・人間の教育(大人が教えること)

・事物の教育(経験から学ぶこと)

 

ルソーの教育の目標は

自然人と社会人の対立を克服すること。

 

自然人とは、自分のために生きる人間

社会人とは、社会に適合した人。

その2つを統合した人になること。

 

15歳までは自然人として育て

15歳からは社会人として育てる。としている。

 

社会契約論は

民主的な社会を作る制度論であり

エミールは

民主的な社会を担う人を育てかたの教育論。

 

 

一般意志とは、みんなが欲すること。

 

民主主義では議論して法律を作る。

 

最後は、多数決で決めるしかないが

多数が正当だということでない。

 

一般意志が法の正当性を作る。

 

一般意志は

自分のためと、みんなのためを矛盾させない。

 

 

ルソーは

フランスの絶対王政の時代の

ジュネーヴで生まれた。

母を亡くし、時計職人の父のもと育てられる。

父は決闘に逃亡し、ルソーは孤児になってしまう。

時計彫刻職人の弟子を経て、放浪の旅にでる。

貴族の未亡人、ヴァラン夫人の家に転がり込み、

図書室にある本を読み漁り、独学で教養を身につける。

 

38歳のとき

懸賞論文に応募し1等に入選する。

それが『学問芸術論』。

学問、文学、芸術が人間を

いかに堕落させたかというような内容。

 

パリの下宿中に

テレーゼと恋仲になり

5人の子供を孤児院に入れてしまう。。

 

哲学者ヴォルテールが

このことを知り批判する。

 

エミールで教育のことをを論じれる立場ではないと。

スキャンダルざたになってしまう。

 

もしくは、

我が子の負い目からエミールを書いたのではないかと。

 

 

田舎で育てられる孤児のエミール。

その家庭教師がルソーとして書かれている。

 

0〜1歳

運動能力を十分発揮させること。

 

当時の貴族の乳児の育て方は

乳母にまかせていて

産着で壁に引っ掛けたりしていた。

泣いたらお乳をやるというやり方だった。

 

乳児は泣くことにより欲求を伝える。

泣き声で欲求を理解して対応するが

それが行き過ぎると

命令になることがあるので気をつけないといけない。

権力と支配という観念が生まれるという。

 

ルソーは

暴君を育てたくないという思いが強いから

そう書いたのではないかと。

 

 

感想

エミールは教育論を書いた本。

しかし、ルソーは高等教育を受けていない。

放浪の旅に出たというが

そこで苦労した経験が大きかったと思う。

 

このように育てられたかったなという思いと

自分の子供たちをこのように

育てたかったという願望に近いのかもしれない。

 

子供の教育は

それぞれの年齢によって

違う教育の仕方があるというのは

現代社会では自明だが

当時のヨーロッパではそうではなかったらしい。

 

むしろ、子どもは

理性が発達してなく未熟な存在で

邪険に扱ってもいいと思われていたと

聞いたことがある。

 

その教育の目標が、

自分の意見を言えて

社会に適応できる人間というのも

現代社会に通じている。

 

一般意志のところでは

いろんな意見を出しあうことで

その結論に

正当性が生まれるものだと解釈した。