誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

ツイッターをやっていると疲れることに気がついた。

ツイッターのタイムラインにある

まとまりのないたくさんの意見を

シャワーのようにあびると疲れることに気づく。

 

特に一番疲れるのは政治の話である。

 

安倍首相が自民党総裁に再び選ばれ

政治の話が再びタイムライン上に

大量に出現しだしたのである。

 

自分の興味のある人の

リツイートだから

自分と政治的な価値観は一緒かもしれないが

さすがにストレスが溜まってしまう。

 

確かに安倍政権は問題があるし

政治的な基本的な事柄がなっていないかもしれない。

 

しかし、そんな政権に批判的なツイートばかり見て

自分にとって有益なのかと考えてしまった。

 

政治をもっと考えたいのなら

ツイッターという文字制限のあるものではなく

ブログやニュースサイトのほうがよさそうである。

 

そして、

ツイッターを見るたびに

嫌な気持ちになっていては

自ら積極的に不幸になっているようなものかもしれない。

 

政治だけの問題ではなく

ネトウヨ、マイノリティ、ポリコレなどの

多種多様なツイートを見ていると疲れる。 

 

フォロー数が増えれば増えるほど不幸になり

フォロー数が少なければ幸せになるのではいか。

 

自分はフォロー数を15まで下げた。

この15のアカウントの人たちは

日常的に批判するツイートをしない人たちを選んだ。

 

自分の精神、人生を安定させるための

情報の断捨離ということかもしれない。

 

ツイッターの利点として

情報、ニュースを早く知ることができるが

自分にとって重要なニュースなのかということ。

 

最低限、知っておかなければいけない

ニュースはあるとしても 

自分が幸せな精神でいることの重要さを考えると

情報を意識的に遮断することが大切な気がしている。

 

Safariのブックマークを少なくし、

Twitterもブックマークフォルダの中に入れて

無意識にTwitterのページにいかないようにした。