誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

アナザーストーリーズ「誕生!日本国憲法~焼け跡に秘められた3つのドラマ~」 を見て

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今年、施行70周年を迎える日本国憲法。その成り立ちは実に複雑である。GHQが作成した草案がベースになったが、実は、日本の民間人が作った草案もGHQ案に影響を与えた可能性があること。また当時世界でもまれな「男女平等」を実現し、その背後に若き女性の献身的な努力があったことなど、あまり知られていないことも多い。さらに伊豆大島には島民が作った幻の憲法も存在した…。日本国憲法誕生の舞台裏を3つの視点で描く。

 

1946年11月3日、

日本国憲法配布。

 

ベアテ・シロタ

GHQメンバーのなかにアメリカ人女性がいた。

ベアテ・シロタは通訳の仕事をしていた。

 

1946年2月4日に

25人のGHQメンバーが集められ

日本国憲法の草案を作る仕事をやるようになる。

 

ベアテ・シロタは

日本国憲法 第24条を作ったとされる。

 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 

女性の権利を憲法に入れることは

世界でも画期的だった。

ドイツでもアメリカでも入っていない。

 

ベアテいわく

「日本人を敵と見ないでいいものにしたいという気持ちがあった。」

 

当初、

マッカーサーが日本政府に憲法を作らせたが

日本政府がつくったものは明治憲法と変わらなかった。

 

そのときマッカーサー

指針となるものを我々が作った方がいいと思ったという。

 

憲法草案つくりに選ばれた25人のメンバーは

弁護士などだったが

ベアテは専門家ではなかった。

語学力と日本で暮らした経験から選ばれていた。

 

GHQ憲法草案は

チャールズ・ケーディス大佐が仕切っていて

ベアテは人権部門に割り当てられた。

 

ベアテ

図書館で世界の憲法を調べ、

女性の権利を入れようとしていた。

 

日本の女性が差別されていた境遇を見ていたからである。

1923年、オーストリアで生まれ

父は有名なピアニストだった。

5歳のとき

ユダヤ人の迫害をおそれ日本に移り住んだ。

 

日本の東北では飢饉があると

娘を売るというようなことがあり

女性の低い地位を知っていた。

さらに自分の好きな人と結婚できないということ。

 

憲法の各部門が書いたものを

ケーディス大佐がチェックする。

ベアテが提出したものは

憲法に入れるには細かすぎると削除していった。

そのことに悲しくなって泣いてしまった。

 

ベアテがつくったもので

盛り込まれたのは

GHQ草案の第23条だけであった。

 

GHQ憲法草案を を巡って日米間の会議があって

通訳としてベアテが立ち会っていた。

 

天皇制が問題となったが

それと同じくらい

男女平等も問題となった。

 

日本側は

女性の権利について

国民、歴史、文化に合わないと言っていた。

 

ケーディス大佐は

ベアテから出されたものだと言い説得した。

 

GHQ草案は、日本側の修正と

議会の審議を経て日本国憲法となった。

 

 

憲法研究会の7人の日本人

GHQよりも早く憲法草案を作った民間人。

 

憲法研究会の憲法草案を読んだ

GHQのマイロ・ラウエル中佐は

この憲法がよく作られていたと思ったという。

 

その草案には

国民主権象徴天皇制につながる考えが書かれていた。

 

メンバーは 

憲法学者鈴木安蔵が中心であった。

福島県生まれ。

戦時中に

反政府活動で投獄され

出てきてみたら

自分が書いた本が

言論弾圧によって検閲された。

 

憲法研究会には

社会活動家の東大教授。

経済学者。政治評論家などがいた。

 

天皇に関わる条文が問題となる。

明治憲法は主権が天皇

その天皇をどういう位置づけにするのか?

地位と権力はどうするのか?

 

いろんな意見が出た。 

天皇制廃止し

元首を大統領とし共和制を採用する案。

 

鈴木安蔵は戦争肯定を賛美する本を書いていて

そのことを恥じていた。

 

天皇は国政を関わらず

国家的儀礼を司る。

という象徴天皇制につながるものであった。

 

この草案を 

日本政府とGHQに届けた。

日本政府からは反応がなかったが

GHQは高く評価しこれを参考にしていった。

 

しかし、

人間が人間らしく生きる権利のところは

GHQ草案では削られていた。

 

経済学者の森戸辰男が抗議をし

生存権が認められた。

 

第25条 

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

 

伊豆大島の大島暫定憲法

伊豆大島

GHQの意向で日本から独立するように命令されていた。

北方領土小笠原諸島などと一緒に。 

 

元教師で村長であった柳瀬善之助が

大島共和国の憲法を作ろうという計画をする。

 

伊豆大島共和国。

そのときに作ったのが大島暫定憲法

島民主権、平和主義などが盛り込まれていた。

 

なぜ日本国憲法と同じようなものを作ることができたのか?

 

本土を守るため、日本軍1万人がいたり

米軍の爆撃もあった。

 

次は本土上陸であり最後の砦といわれた伊豆大島

平和が大切だという基盤があったとされる。

 

「もとむら」という地域新聞に

村人の意見を汲み上げている。

 

その新聞から、

どんな人たちが大島暫定憲法

作っていたのか調べたら

 

自殺名所で思い止ませるため

茶屋を開いたクリスチャンの主人や

大工さんなどが参加していたことがわかった。

 

そのなかに

法律の専門家は見当たらなかった。

 

大島暫定憲法では

権力分立の考えが盛り込まれていた。

 

議会、執行委員会、全島民という

内容があった。

 

その後、伊豆大島では

GHQからの命令で日本国に戻ることになる。

 

 

感想

日本国憲法はアメリカから

押し付けれた憲法だといわれるが

どんな思いでアメリカ人が日本国憲法作っていったのか

知らないからそんなことが言えるのかもしれない。

 

日米での憲法の会議のとき

男女平等は日本には合わないと

日本側が言っていたらしい。

 

ある意味、憲法はアメリカに

押し付けられたかもしれないが

それは日本を良くしたいという

思いがあったのだと感じた。

 

当初、日本国憲法明治憲法を改正したり

修正したりするだけでいいと思われていたが

GHQがまるっきり新しく作ったのが

よかったのかもしれない。