誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

ルルドの泉で を見て

 

 

 なぜ、彼女にだけ奇蹟は起こったのか。  ◆世界最大の巡礼地“ルルド"。 そこは奇蹟にすがる人々が集う場所。 彼女に起こった奇蹟が、人々の歯車を狂わせる・・・ 聖なる地で、ある女性に起こった奇蹟とそれを目の当たりにした人々。 なぜ彼女に奇蹟は起こったのか? そして次第に狂い始める周囲の人々の歯車・・・。 病を患ったとき、将来に不安があるとき、孤独を感じたとき、人は見えない力を信じて希望を抱き、"奇蹟"を願うもの。 ではもし本当に"奇蹟"が起こったら? 奇蹟が現実となったとき、人は思いもよらない行動に出る。 奇蹟の泉が映し出す、人間の光と闇。

  

この映画のポイントは

ときどき定点カメラ撮影に

なっていることである。

 

まるでその場を

観察しているような感覚になり

なぜ彼女に奇跡が起きて

信仰深い人には奇跡が起きないのか。

 

自分なりに答えを出したくなるが

この映画の中では

なぜ彼女に奇跡が起きたのか

教えてくれない。

 

そもそもルルドの泉で

体が治るなんて

神父さんも信じていなかった。

 

神父さんの言葉。

「体がよくなることについて祈るのではなく

 魂がよくなることについて祈りなさい。」

 

信仰心と奇跡は関係ないのかと思いたくなる。

 

敬虔なシスターが倒れてしまい

若いシスターが楽しそうな生活を送る。

 

そういった

きちんと真面目に生活を送っている者が

必ずしも幸せになったり、

奇跡が起こるとは限らない。

 

でも、それは

世俗的な社会でも同じである。

 

自分より性格が悪く、

仕事もきちんとやらない人が

出世したり、お金持ちになったり

良い恋人を見つけられたりすることなど

いくらでもある。

  

一般的に考えれば

不平等で理不尽な展開なのだが

教会というか聖地と呼ばれる場所でも

そういう感じなのだと。

 

映画のなかでは

それが良いとか悪いとかでなく

ありのままに起きたということ。

 

いろいろと

信仰とは何か考えたくなる映画であった。

 

祈ることによって効果を求めるが

ここまでやったから、これをしてくれる

という取引という関係になりそうだし、

祈って効果がなければやる必要がない。

 

 

神父の言葉で

体がよくなることよりも

魂がよくなることについて祈るとあったが

イエス・キリストは

実際に病を体を癒した。