誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

アナザーストーリーズ「兵馬俑は見ていた!~巨大遺跡に翻弄された人々~」 を見て

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中国の古代遺跡「兵馬俑」を43年前、井戸を掘っていた1人の農民が掘り当てた。秦の始皇帝の軍隊を忠実に再現したおよそ8千体の兵士像が2千年以上の眠りから覚めたのだ。だが時代は文化大革命の真っ最中。スローガンは「古い価値を否定せよ」。名だたる歴史遺産が次々破壊されていた。数奇な運命をたどる発見者、その中で遺跡を守った人々の驚きの行為とは?20世紀最大の発見、その裏に隠されたアナザーストーリー!

 

兵馬俑を発見した農民である
楊志発さん

 当時、楊さんがいた村は貧しく 

水が欲しくて

井戸掘りをやっていたら

偶然にも兵馬俑を見つけた。

 

役人に伝えたら

30元もらえたが

村で全員分けることとなっていた。

 

役人は兵馬俑を

どうするか考えていた。

 

国に報告せず隠していたが

中国政府は噂を聞きつけ

調査することとなった。

 

発見者の楊さんは

遺跡に近くことが

できなくなってしまった。

 

考古学者の袁仲一

このころの中国は

文化大革命によって

歴史的な物が壊されていた時代。

 

兵馬俑発見から4か月後、

政府から

「妥当な措置をとれ」といわれ

 現地に調査にいった。

 

兵馬俑はゴミ捨て場にあったり

子供の遊び道具だったり

ぞんざいに扱われていた。

 

文化大革命のときに

壊されなかったもの、万里の長城。

 

理由は

始皇帝が築いたものだから。

 

なぜなら

始皇帝は焚書坑儒をし

儒教の教師を弾圧し

古い価値観を壊すということをやったので

毛沢東が礼賛していたのである。

 

兵馬俑が壊されないために

始皇帝に関わるものが必要だった。

 

兵馬俑の武器は本物であり

相邦呂人韋という名があった。 

歴史書にも登場する人物で

始皇帝と繋がりを証明できた。

 

しかし、

中国の機密情報であったため

写真の公開はできず

世界に詳細を知らせることができなかった。

 

ジャーナリストの
オードリー・トッピング

先祖は中国でキリスト教を広めた

宣教師であった。

 

父親は有名な外交官であり

中国の要人たちを取材中に

北京の新聞で兵馬俑の記事を見かける。

 

現場になんとかして行ったが

カメラはNGであった。

 

隠しカメラで撮影しようとしたが

失敗しうまく撮れなかった。

 

聞き取りをした内容のみで 

アメリカの新聞で記事を書く。

 

今度は

ナショナルジオグラフィックに

記事を書こうとしたが

写真無しではダメであった。

 

どうしても写真が必要だったので

中国にいる関係者から

兵馬俑の写真を横流ししてもらった。

 

毛沢東が亡くなると

ナショナルグラフィックに出版する。

 

そうなると 

アメリカ大統領や世界の大物が

兵馬俑に訪れるようになり、

発見者の楊さんに

外国の人が話を聞きくるようになった。

 

次第に、

自分こそ発見者だと

言う人が増えてきた。

 

楊さん

「作ったのは自分ではないので

 みんなで分けるべき」

 

食っていけない村が

豊かになったのでよかった。 

 

しかし、 

兵馬俑は行きたくなくなった。

村人のなかには

おかしくなった人もいたという。 

 

感想

中国の貧しい村が

兵馬俑によって豊かになっていく。

 

兵馬俑の発見によって

農村が観光地になり

豊かになるということを

中国政府はわかっていたのかもしれない。

 

共産主義に合わなくなり

国家機密にした可能性もある。

 

 

農村は豊かになったが

村人たちの仲は悪くなった

ニュアンスが番組内であった。

 

宝くじが当たったが

その後の人生が

悲惨になってしまった

みたいな感じを受けた。

 

でも、発見者の楊さんは

変わらず、いい人そうである。

 

共産主義国家だから

平等に分けなくてはいけないが

兵馬俑は村のものだという

認識があるように思えた。

 

 

毛沢東が亡くなってから

ナショジオに写真ありの記事を

出せたということは

文化大革命で怖い存在だったのは

毛沢東しかいなかった

ということなのだろか。