グラン・トリノ を見て
朝鮮戦争の退役軍人で、自動車工として勤め上げたウォルト・コワルスキーには、引退後の日常も近所の変わり様も、すべてが面白くない。中でも気に食わないのが、東南アジアからの移民であるモン族の隣人たちだ。しかしある事件が起こり、ウォルトは図らずも暴力と脅しを生業とする地元のギャングから彼らを守ることになる。
アメリカの白人である老人と
モン族との少年が
仲良くなっていき
少年が成長していく展開が心温まる。
このまま映画が終わってくれればいいのに
と思いながら見ていたが
映画は起承転結である。
いずれこの関係世界が壊れることは
理解していたが
実際そうなると心が痛くなる。
最後、ウォルトが銃で撃たれたとき
倒れ方が十字架であった。
イエスが抵抗しなかったように
ウォルトも敵に対して
対抗をしなかった。
さらに、十字の意味は
人の罪を肩代わりするという意味もある。
あのままでは
タオは復讐し罪人になっていたに違いない。
その罪を肩代わりしたという見方ができる。