誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

100分de名著 獄中からの手紙 第3回 非暴力と赦し を見て

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ガンディーにとって重要なテーマは「赦し」だった。憎悪の反復は、最終的には何も生み出さない。怒りを超えた「赦し」によってこそ、次の平和に向かって進むことができるというのだ。このようにガンディーの「非暴力」思想は、単に暴力を否定するだけのものではない。「怒りや敵意を超えろ」というメッセージが込められている。攻撃的な言葉で敵を攻撃し、声を荒げることも暴力にほからなない。ガンディーは敵対する人々に対しても、「祈り」「断食」といった自己変革を伴う運動によって、相手の心を動かし、高次の対話につなげていこうとするのだ。第三回は、ガンディーの非暴力思想に込められた深い意味を読み解いていく。

 

非暴力は

ヒンディー語でアヒンサー。

ア=否定

ヒンサー=傷害・殺生

 

 

1907年、

ガンディーが南アフリカにいたとき

アジア人強制登録法ができ

インド人の指紋登録を持ち歩くことが義務であった。

違反者には罰金や投獄があった。

 

そこでガンディーは

登録書を燃やし始める。

仲間たちも登録書を燃やし

刑務所は人で溢れかえった。

 

イギリスは解決案を出し

インド人は人権を取り戻した。

 

1930年には

インドで塩の行進をする。

 

非暴力の方が強い意志や勇気が必要であり

暴力の方が弱い者がやることである。

 

そのうちに

殴っている方の心のが痛みが大きくなる。

そこに良心が来るのを待っている。

  

アヒンサーは愛であり

積極的な概念である。

違いを認めることが重要で

言葉もまた暴力となる。

 

非暴力は手段となり

目的は真理である。

 

弱い人が暴力を受けていたら

殴って助けることもある。

臆病の盾になってはいけない。

 

嫌な人を許すべきか

打ち負かすべきか。

 

打ち負かす人は

その場に立ちすくみ

許しは前進である。

 

外に敵がいるのではなく

内面に敵がいることが問題である。

 

イギリスとインドは共犯関係にある。

イギリスも近代にとらわれていて

インドも近代化のために招き入れたのではないか?

  

 

感想

自分の生活で非暴力といえば

電車で酔っ払いに絡ませたり

肩が当たった当たらない

足を踏まれたり

そういう場面に出くわさない可能性がないわけでは

ないので、そういうところになる。

 

満員電車で足を故意に踏まれ

イラっとして

やり返そうと一瞬脳裏をよぎったが

やめておいてよかった。

 

非暴力というと

物理的な体の痛みと連想してしまうが

言葉による暴力を気をつけなければいけない。

 

そう考えると

話すことが慎重になってしまい

何も話せなくなってしまう可能性もあるので

なんともいえない。