誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

アナザーストーリーズ「そして田中角栄は首相になった~44年目の証言~」 を見て

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歴代総理大臣の中で、今なお人気を誇る田中角栄。激烈な戦いを制し、権力のトップに上り詰めた舞台裏を、ライバル福田赳夫の元秘書が証言!!敵陣営から見た角福戦争とは?そしてかつての支持者たちが、最強の後援組織「越山会」誕生のウラにあった、若き日の角栄の危機を証言した。さらに、元番記者が明かす、政治家・田中角栄誕生の秘密とは?戦時中の知られざる“角栄”の足跡、それを直に問いただした時、角栄は?

 

 

今までみたてきた田中角栄の番組の中で

一番おもしろかった。

 

ライバルー角福戦争

越山会ー後援会

番記者ー金脈問題

上記の3つの視点から番組が進む。

 

その中でも一番印象が残ったのが

番記者のところである。

この番記者は現在、新潟日報の社長である。

 

 

田中角栄はどうやってお金持ちになり

政治家になったのか。。

 

他にも土建屋はたくさんあった。

しかし、なぜ田中土建工業が儲かったのか。

 

それは戦時中に理化学研究所からの

工場移転への仕事が舞い込んだからであった。

 

その仕事は東京にあった化学工場を朝鮮に移すため

新潟を経由して海で運ぶ仕事であった。

 

それは、海で爆撃されるおそれがあり

とても危険な仕事で誰もやりたがらなかった。

しかし田中角栄が手を挙げた。

 

知恵を絞り

朝鮮まで機材を運んだところで終戦である。

 

急いで理研から事前に手にしていた

軍票(戦時中に使えた紙幣)を持って

ソウルに行き現金に両替し

約90億円ほどのお金を手にすることになる。

 

角栄の自伝によれば

このお金は朝鮮に寄付したことになっているが

そんなことはないという。

 

これが終戦当時、田中角栄がお金持っていた理由である。

 

そして、お金をたくさんあること知っていた政治家が

田中角栄にカンパを頼み、そのお礼として

出馬してみないかという誘いがくる。

 

これが田中角栄

政治への道であった。

 

 

 

他の番組では

田中角栄といえば

ロッキード事件角福戦争、演説の様子などが

メインになる。

 

しかし、この番組は

田中角栄が政治を志すところを取材していて

興味深かった。