火の鳥③ ヤマト・異形編 を読んで
4世紀頃の倭(日本)。古墳時代。主人公のヤマト国の王子、ヤマトオグナは父である大王からクマソ国の酋長川上タケルを殺すことを命じられる。その理由は川上タケルが真実を書いた歴史書を作ろうとしているからであった。大王は、自分たちは神の末裔であるとする嘘の歴史書を作ろうとしていたため、川上タケルがやろうとしていたことは不都合であった。オグナは川上タケルの妹であるカジカと出会い恋に落ちるが、迷いながらも父の言いつけ通りに川上タケルを殺す。タケルは死に際に「わしの名前をやろう。これからはヤマトタケルと名乗るがいい」と名前を譲る。愛したカジカに、仇として命を狙われる事となったタケル。二人の愛はやがて悲劇へと向かって行く。
ギャグ要素が強い。
実際にある奈良県の石舞台古墳を巡るストーリー。
実際にある建造物に対して、
ストーリーを作る。
手塚治虫は古墳をみて
こんなことを考えていたのかと思う。
ストーリーはいくらでもあると言っていたが
多分、何気ない物を見て
ストーリーを作っていくことができる人なのだろう。
火の鳥はヤマトタケルの味方をするのだが
それは笛を聞かせてもらったから。
火の鳥といえども
万人に平等にというわけではない。
つまり神ではなく、聖霊に近い存在である。
戦国の世(室町時代)。主人公の左近介は本来は女であったが、幼少の頃より父に男として暴力をもって育てられた。その左近介の父は応仁の乱の功績で名をあげた残虐非道の男であり、左近介は父を憎んでいた。ある日、左近介の父の鼻に「鼻癌」と思わしき症状が現れ苦しんでいたところ、それを治せるという尼「八百比丘尼」が現れた。左近介と父は、まるで老いた左近介のような八百比丘尼の姿に驚く。父に恨みを抱いていた左近介は、治療を阻止するために、寺を訪れ八百比丘尼を殺す。だが、殺害を終えた左近介は不思議な力に阻まれ、寺から出られないようになる。八百比丘尼の治療を求める近隣住民たち、さらには人外の異形の者たちが次々と寺を訪れ、左近介は心ならずも比丘尼の身代わりとして治療に従事する羽目になるが、そこから恐ろしい因果応報が左近介に巡ってくる。
30年おきにループし
自分が辿ってきた人生を歩む。
今回の火の鳥は怖い。
尼さんを殺し
同じ報いを繰り返し経験し続ける。
脱出するには妖怪も含め助け続ける。
なぜ左近介だけ
そのような仕打ちを火の鳥はするのだろうか。
ただ、ひたすら妖怪や人を助けることを
受け入れた左近介。
これはある意味
輪廻をあらわしているのかもしれない。
今回のケースでは
同じ人が30年おきに繰り返すが
人は死んで生まれ変わる。
輪廻をして
自分が犯した罪を経験することとなり
その輪廻から脱出するには
人助けしかない。つまり、仏。