誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿「ビタミン×戦争×森鴎外」 を見て

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科学史に埋もれた闇の事件簿。今回取り上げるのは、ビタミン発見にいたる知られざる物語。生命を維持するために不可欠な栄養素「ビタミン」。20世紀初頭まで未知の存在だったビタミンに、日本の科学者たちが世界に先駆けて肉薄していた! きっかけは、当時、結核と並んで恐れられていた原因不明の国民病「かっけ」。中でも苦しめられていたのが軍隊だ。ところが陸軍軍医だった森林太郎(森鴎外)ら科学界のエリートたちが…。

 

1884年、

脚気が日本で大流行となった。

 

原因は

ビタミンB1の不足であり

体内で作ることができない。

 

脚気は当時、

原因不明の病気であった。

 

ドイツ医学では細菌説が流行っており

脚気も細菌が原因だとされた。

 

陸軍軍医の森林太郎。

幼少から外国語を学び

最年少で東大と卒業する。

 

森慎太郎は 

海外で最新の医学を学び

それが細菌学であった。 

 

海軍軍医の高木兼寛は

イギリスで感染源を特定する学問

疫学を学んだ。

 

脚気は

栄養素が偏っているのが

原因ではないか。

 

比較実験を行ない

栄養の偏りだとわかったが

原因はたんぱく質だと考え

ビタミンには気がつかなかった。

  

陸軍は脚気細菌説を信じていた。

陸軍が支給していた白米について

栄養はまったく問題がないと言った。

 

森林太郎は

文章がうまく、雄弁であり

白米のみの支給に説得力を持たせた。

 

その後、小説「舞姫」を発表し

軍医と作家として活躍していく。

 

日清戦争が始まると

陸軍は戦死者よりも

脚気でなくなる方が多かった。

 

一方の海軍は麦飯を支給し

脚気は少なかった。

 

陸軍と海軍との間で論戦があった。

 

現場の陸軍兵士から

麦飯を支給してほしいとあったが

陸軍軍医は認めなかった。

 

1904年、日露戦争。

森林太郎は

前線の軍医から麦飯を支給すべきと

提言があったが黙殺した。

 

脚気患者は25万人。

 

世間は陸軍を非難し

陸軍軍医が辞任し

軍医のトップに森林太郎がついた。

  

1908年、

陸軍は脚気調査会をする。

初代会長は森林太郎。

 

農学者の鈴木梅太郎は

高騰動物の生育に必要なもの。

アベリ酸を発見する。

 

しかし、

東京大学医学部は

よく思わなかった。

 

鈴木梅太郎は

海外に論文を発表する。

 

1912年、生化学者フンクは

ビタミンを発見した。

 

森林太郎が

晩年出版した医学書には

脚気は伝染病の部類にはいっていた。

 

森の死後、

脚気はビタミンの不足だと結論づけた。

 

ビタミンを発見した

エイクマンとホプキンズ。

 

この2人を

東京大学医学部はノーベル賞に推薦していた。

鈴木梅太郎が

ノーベル賞を取ることが嫌だった。

 

感想

フランケンシュタインの誘惑は

海外のすごい優秀な化学者がメインだったが

今回は森鴎外だったので意外であった。

 

負の化学史に日本人が登場し

しかも小説家である。

 

そして、彼が

エリート陸軍軍医だとは知らなかった。

 

森林太郎が持っていた

エリート意識と愛国心が

白米に固執してしまい

間違いを認めなかったと。

 

現代にも通じる部分がある。

 

優秀な人ほど

自分の考えを尊重し

他人の意見を受け入れにくい。

 

スタジオに来ていた学者の方が

陸軍は90万人、海軍は4万人

という規模の違いから

保存の悪い麦飯にすると

実務的な理由から

できなかったと考えられるという。 

 

しかし、本当に

森林太郎がそこまで考えていたのだろうか。

 

番組の演出上、

森林太郎が悪い人物に見えてくる。

 

でも当時の医学の知識で考えるならば

仕方がないような気がするが

やっぱり人の命が関わっている問題なので

医学の知識とか一旦置いて

考える必要があったのだと思う。