誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

世界ふしぎ発見 日本史最大の謎 消えた義経を追え を見て

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鎌倉軍から 

義経を保護した藤原秀衡。

 

朝廷から

独立したかった源頼朝にとって

義経は判官という地位を

朝廷からもらっていて

邪魔な存在であった。

 

そのころ奥州では

藤原家の勢力がすごかった。

 

藤原秀衡は

息子の藤原泰衡と

源義経に伝言を渡した。

 

1189年、衣川の戦いで

義経は自害したとされる。

 

この戦いの本当の目的は

奥州を滅ぼすことであった。

 

600年後の水戸光圀は

疑問に思った。

 

義経の首が鎌倉に着くまで

40日間ぐらい経っていて

証拠となるのか。

 

奥州には

杉目太郎行信の墓があり

彼が影武者となったと口伝えで

引き継がれていた。

 

それが明治になって

名前が墓地に記入された。

 

伝説の義経北行コース。

そのルートには桜の名所が多い。

 

風呂という名字。

源義経からいただいた名字。

義経を風呂に入れてあげ

義経から名付けられた。

 

判官稲荷神社。

蝦夷の道へ行きなさいというのは

藤原秀衡からの伝言だという

証拠があった。

 

青森八戸。

16か所に伝承が残っている。

おがみ神社にある古文書には

義経は衣川の戦いの

1年前に脱出していたという。

 

 

 

北海道の松前には

降り立った伝説がある。

しかもそこは桜の名所である。

 

北海道にも

義経に関する伝承が

30か所ある。

しかし、 話が

荒唐無稽なものになっている。

 

江戸時代、義経ブームがあり

歌舞伎などでも演じられた。

 

そのころの蝦夷の開拓と

江戸の人々の想像とが

混じり合ったとされる。

 

イギリス大学の図書館。

チンギスハーンは

義経が論文がある。

 

奥州には

藤原という集落がある。

 

藤原泰衡が

藤原家を絶えていけないという

伝言を受け取った証かもしれない。 

  

感想

義経が平泉でやられたのではなく

北へ逃げたのは

本当かもしれない。

 

北海道の松前に行ったのも

ありえなくはない。

 

ただ北海道で

名を上げたとは考えづらい。

 

 

北海道でも

義経にゆかりのある場所が

たくさんあるのは

江戸時代に作られたものだという。

 

でもその理屈では

奥州の北行伝説も

江戸時代に作られたものと

いえるかもしれない。