誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

ウォルト・ディズニー 第3章 戦争と混乱の時代 を見て

 

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 <内容> 

スタッフのデモにウォルトは関わりたくなかった。

株価も1株25ドルから4ドルになった。

 

これは陰謀だと思い

共産主義者が悪いと発言していく。

 

南米に旅行しに行く。

現地で熱烈な歓迎を受ける。

 

その間にディズニー・スタジオの問題は

兄ロイが解決していた。

 

第二次世界大戦が始まる。

 

映画制作のための資金がつき

政治のプロパガンダ映画でなんとか

資金繰りをする。

 

バンビは

ストライキの最中も中止しなかった。

これが起死回生の作品になると思っていた。

バンビでは自然界の危険さを描いた。

しかし、バンビで制作費を回収できなかった。

 

・白雪姫

・ピノキオ

・ファンタジア

・バンビ

・ダンボ

 

この5つが実験的な作品であった。

 

リーマスじいやの作品に取りかかる。

ヨーロッパではなくアメリカの物語である。

コストの低い実写と組み合わせることにした。

 

ウォルトは自分のストーリー選びと

表現方法の直感を信じていた。

 

ただ政治的な問題があった。

南部の話なので

人種問題がまだ根強くあった。

 

南部の奴隷農場のときのことを

陽気に黒人が話していいのかということ。

 

主演の黒人俳優が

白人専用の劇場にはいることができなかった。

 

主人と奴隷の関係が

あまりにも愛情深く描かれている。

奴隷制を美化していると批判を浴びた。

 

ウォルトはこれを共産主義者のせいだと思う。

 ハリウッドのストライキの背景には

共産主義があるという。

 

ハリウッドは労働組合の弱体化を目指していた。

共産主義者は雇わないという。

 

ウォルトはテレビメディアに注目する。

自然映画、アザラシの島を撮影することになる。

 

ここでもウォルトの手法が発揮される。

子供アザラシ、母親アザラシ、悪いアザラシ。

この3つを登場させれば映画がつくれる。

 

またアニメ映画を作りたくなる。

シンデレラを作ることになったが

ウォルトはスタッフにまかせるようになった。

50歳になり体力が衰えるようになった。

職場に看護師を呼び寄せたりしていた。

 

休暇をとって旅行をする。

シカゴにある鉄道博物館にいくことになる。

 

ウォルトは鉄道模型がほしくなり

自分で作るようになる。

ここでどんどん時間を割くようになる。

ウォルト自身も手作業で作るようになる。

ミニチュアの汽車に異常なほど興味を持っている。

 

シンデレラは古典的なディズニー映画として

絶賛される、収益面でも成功する。

 

ウォルトは家のまわりに

汽車で遊ぶようになった。

すでに気晴らしの域を超えていた。

 

画家のダリは、

ウォルトが本物以上を求めていると感じたという。

 

アニメーターは思い通りできないが

ここは細部まで思い通りできる。

 

全くあたらしい会社と事業を立ち上げる。

WEDという施設をつくり

少数の人たちと意見を交わしながら

汽車を作り始めた。 

 

今までの移動遊園地は

スタッフも不潔でいいものではなかった。

見世物小屋まであった。

いいものを作ろうと

ディズニーランドを作るようになった。 

 

空想の世界を作るようになる。

映画の世界を再現したかった。

 

資金の調達が問題になった。

テレビ局から番組をつくるように頼まれ

そのかわりに

ディズニーランドを出資を求める。

 

アメリカ人も

趣味やおもちゃにお金を使うことができたし

ベビーブームがあり

子供たちに何にお金を使うか考えていた。

 

テレビ番組では

建設中の物語を1つ紹介していくようになる。

ここですごい人気番組なっていく。

  

<感想>

バンビの雪のシーンがすごい。

炎のなど自然のものをアニメーションを

するには当時は難しかったと思う。

 

自宅に汽車を作っているときは

これがディズニーランドになったとは

思わなかったが、手伝う人が増えてきて理解した。

 

ウォルトは旅行に行くたびの状況が改善していっている。