誤謬日記

祈れ、働け、学べ。

ウォルト・ディズニー 第1章 ミッキーマウスの誕生 を見て

 

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<内容> 

自分の好きな仕事をすると決めていた。

本格的に絵の勉強をしたことはなく

アニメーションは本で勉強した。

撮影機材を借り、空いた時間に制作し

小さな劇場に作品を売り込み、有名になる。

 

ある時、作品を作っても

取引先からお金を払ってもらえず

逃げられたことで経営がやばくなる。

 

そのころ

アニメーションを実写に

写り込ませる手法を発明していた。 

 

仕事を軌道にのせるため

景気のよいロサンゼルスに行くことにする。

ハリウッドの映画監督を目指すが

なかなか仕事が見つからない。

 

しばらくすると配給会社から

アニメーションに実写を映り込む技術で

作品の依頼が来る。

 

そのおかげで、お金が入り

兄ロイとアイワークスの3人で

会社を設立する。

 

このころから配給会社から

どんどん仕事が舞い込むようになる。

 

フライシャー兄弟がライバルで

独自のキャラクターを生み出すことを考える。

 

しかしアニメーターの不満が出てくるようになる。

残業代が出ず名声をウォルト・ディズニーが独り占めしていた。

 

残った社員と一緒に

自由な意見を出すようにし

ミッキーマウスが生まれる。

 

さらに、アニメーションに音をつけることを考える。

当時は、すごい技術とお金が必要だった。

 

『蒸気船ウィリー』

ギャグとアニメの動きと音があっていて

これがヒットの要因となった。

ミッキーがハリウッドのスターになった。

 

兄ロイが、ライセンスビジネスを思いつく。

ライセンスビジネスで有名なケイメンと契約を結び

世界にミッキーグッズが流行る。

 

ディズニー・スタジオに才能ある人が集ってきた。

 

ウォルトは作品作りをしなくなり

作品を評価しチェックする側になっていった。

それが居心地の悪さになっていった。

 

さらに妻が流産してしまう。

 

神経衰弱になってしまったウォルトは

医者のすすめで妻と一緒に旅行にいくことになる。

 

シリー・シンフォニーという

実験的な短編の映画シリーズをつくり

芸術的な作品が作られる。

 

スタッフたちを家族のように接し 

アニメーターに美術に関する教養を学ばせるため

美術教師を呼んだりしていた。

 

 

<感想>

なんども失敗や痛い目にあいながらも

あきらめず作品作りを軸に考えていたウォルト。

 

実写にアニメを挿入したり

音を付け加えたり

ミッキーを生み出したり

常に新しいことに挑戦したから

ディズニーアニメーションの成功があると思った。